安保法制(戦争法制)の法案可決後、ネット上では、なぜか反対運動を展開したSEALDsを非難する言論が盛り上がっている。
一番人気を集めたのはこれだ。
「なんかSEALDs感じ悪いよね」の理由を考える ──中国や台湾の学生運動との比較から── この論考は、天安門事件等の学生運動の失敗例と、台湾での成功例を並べているが「出羽守」に陥っている感が否めず、また、SEALDsの運動の射程としてかなり早い時期から2016年の参院選が入っていたことを考えると、現在の到達点で台湾の学生運動とSEALDsを比べるのはフェアでないように思う。というか、台湾の学生運動は、国会(立法院)の物理的占拠もしており、その辺の運動のやり方としては60年安保の時の全学連のやり方に似ている面もあると思うのだが、今、日本でそんなやり方は支持されるのだろうか??
最後のスローガンの比較も、チョイスが恣意的で適切な比較になっていように思える。筆者の思うところ、SEALDsのスローガンは「立憲主義って何だ?」「民主主義って何だ?」に集約される。筆者が唯一参加した9月17日の国会前の行動でも、これらのコールは繰り返されていた。SEALDsの運動は、日本の政治の歴史で言えば、今後の流れ次第では「憲政擁護運動」とも位置づけられる余地があり、単なる現状批判ではなく、十分に肯定的な要素を含んでいると思われる。
もう一つ流行った論説として、ホリエモン(堀江貴文氏)のものがあるが、レッテル貼りをするものの、批判に内容がなく、実際はサイトへのアクセス数を増やしてアフィリエイト広告収入を増やしたいだけなんじゃないかとすら思える。
「ホリエモンが三度警鐘、今のSEALDsに感じる危険性」 その前のホリエモンの論考では、「今回の安全保障法案は戦争法案ではない」「徴兵制に向かうものでもない」「積極的に戦争を仕掛けようというものではない」と言う。
しかし、安保法制には、実際、従来の意味での「専守防衛」の範囲を遙かに超え、国外での「武力行使」「武器使用」をする場面が様々に出てくる訳で、これが「戦争法制」でなければ何が戦争法制なのか、と思ってしまう。ROE(Rule of Engagement)のことを「交戦規則」と言うのと同じように、安保法制を「戦争法制」というのは的を得たネーミングだと思われる。
「徴兵制云々」は、SEALDsの主張にそのようなものが含まれているのか分からないが、わら人形論法のようにも思える。ただ、この間、与党の有力議員が徴兵制肯定論を繰り返し垂れ流しているのは事実であり、安保法制を推進しようとする勢力の中に、そういう論者が沢山いることを疑うのは、むしろ健全なのではないかと思う。我が国のネット上の徴兵制を巡る議論は、この議論の震源地が常に、徴兵制やそれに類似する制度を肯定する自民党議員の発言であるのに、徴兵制の実現に否定的な勢力が、それらの自民党議員を批判しない。それどころか、自民党議員に対して「奴らは危ない。危険だ。放っておくと本当に徴兵制になるぞ。」と批判する勢力に対して、「徴兵制とかないしwバカすw」とあざ笑っているように見える。これは、奇妙なねじれと言うほかない。ホリエモンを含め、徴兵制の実現を否定するのなら、それらしい発言をしている自民党議員を批判したらどうだろうか。
「積極的に戦争を仕掛けようというものではない」というのも、SEALDsの主張を直接は知らないが、しかし、一方で、ホリエモン自身がアメリカの役割の「分担」を認めている以上、ホリエモンの立場からしても、アメリカの下請で戦争や武力行使や「武器使用」の事態に巻き込まれることは十分あり得るんだろう。そうであれば、SEALDsがそう言っているかは知らないのでそのことは別として、そのような法制をわざわざ作る作業を「積極的に戦争に参加しようとしている」と評するのは、決して的を外してないのではないかと思う。
「私がSEALDsをdisる理由」
http://weblog.horiemon.com/100blog/31497/ さて、主題から大分、遠回りしたが、言いたいことは、ホリエモンの批判は、ホリエモンと同じ立場に立つ者には分かる類の批判で、必ずしも鋭いものになっていないし、どこまでSEALDsプロパーのものなのかも判然としない、ということである。
「SEALDs」の功績 さて、見出しで「」をつけてみた。筆者の見るところ、ホリエモンの評論に代表される意見は、結局のところ、安保法制に対する反対世論の隆盛に対する批判を展開するために、その象徴としての「SEALDs」を叩いているのだ。様々な観点から批判している反対勢力の“不都合な点”を、SEALDsに押しつけている。これは、いくらなんでも酷いのではないだろうか。
逆に、安保法制に反対する勢力も、SEALDsを祭り上げすぎなのかもしれない。この間、安保法制への反対闘争に加わった市民の裾野は、筆者の周囲を見ても、驚くほど広く、政治思想的には新左翼、左翼、社民主義・リベラル、保守までいたし、年齢層も実に幅広かった。日本の伝統仏教に属する宗教団体からも多くの反対決議が上がった。「学者の会」「立憲デモクラシーの会」など学者団体や、日弁連や単位弁護士会など、弁護士会が果たした役割も大きかった。安保法制への反対闘争は、このような裾野の広い国民各層の意識が作り出したもので、決してSEALDsだけが作り出したものではない。我々は、お互いの健闘を讃え、次につなげていくべきなのだと思う。このような事態を細かく把握しようとしない者にとってはそれが「SEALDs」となるように見えるのだ。
だがしかし、筆者はそれでもなお、SEALDsへの賛辞を惜しまない。以下、いくつか述べる。ただ、この賛辞も、実際はSEALDsではなく「SEALDs」に対するものなのかもしれない。
1 原理・原則の大切さを振り返らせてくれた SEALDsの主張の根本は、上記のように「立憲主義擁護」「(立憲的)民主主義の擁護」であろう。筆者からすると、(冷静な)安保法制賛成派の議論をみていても、立憲主義の擁護に対する意識は低いといわざるを得ない。論者の中の相当数が「本来は憲法改正してやるべし」と平気で言うのだから。賛成派と反対派の根本的な違いの一つは、政府・与党が、憲法を、従来政府自身が繰り返し述べてきた解釈も、文理解釈も遙かに超えて「弾力的」(恣意的)に解釈・運用することの是非なのであり、言い換えれば、憲法改正を問わないままでの平和憲法の決定的な変容を是とするか否かなのである。政府の国会答弁を前提にしても、安保法制は「備えあれば憂い無し」の類であり、これを制定する差し迫った危険があるわけではないのだから、こう考えざるを得ないだろう。そして、筆者もそうであるが、反対派はこれを立憲主義の危機と捉えるのである。一方、安保法制を立憲主義の危機と捉えない立場からすれば、SEALDsの運動は最初から意味のないものに映るかもしれない。
SEALDsは、この深い対立について、反対派を鼓舞するために「立憲主義って何だ?」の問いかけを最後まで止めなかった。もともと、欧米の立憲主義とか、民主主義とかいう概念は、日本の“世間の常識”からすると、非常に青臭いものだ。ともすれば、それらの崇高な理念を“世間の常識”で粉飾し、多数決民主主義という名の単なる多数決に陥りがちな年長の世代(それには政治家も含まれる)に対して、“世間の常識”に染まっていない若者たちが投げかけ続けた問いは、非常に鮮烈だったし、今後も、しばらくはその問いかけの効力が続くだろう。
2 国民各層を勇気づけた 立憲主義にしろ、民主主義にしろ、平和主義にしろ、それらがどのように崇高な理念であっても、次世代の若者たちがその価値を認め、承継して行ってくれなければ、その価値は途端に色あせてしまう。逆に、若者たちがその価値を承継してくれることは、その前を走っていた世代にとってはこの上ない励ましになり、自らが歩んできた道の肯定ともなる。
SEALDsの運動により、それより+15歳の筆者ですら、大いに励まされ、街頭で何度もハンドマイクを握って話をした(そして、自分が最早、若くない、という、薄々感じていた事実を再確認し、寂しい思いもした)。筆者より上、特に70年安保闘争前後の世代の喜びよう(または危機感)は、立場を超えてそれよりもっと凄かったであろう。すなわち、SEALDsの運動が「SEALDs」を生み出した側面は確実にあるのだ。筆者は、その結果生まれた安保法制に対する反対世論は、60年代安保の反対闘争よりも、裾野も、到達点も高いと感じる。
筆者が「到達点が高い」と考える根拠の一つであるが、法案が成立した後も、運動目標があり、挫折感がない(少ない)こともなかなか凄い。これは、彼らの中で、参院選という次のターゲットが明確だからである。実際、各地のSEALDsは、民主党内が後述の「国民連合政府構想」でぎくしゃくしている間も、民・共を含む野党各党の要人を引っぱり出して、同じ席に座らせ、街頭演説をさせて、かつ、その場に、総理大臣の街宣でも集められないような多数の人を、特段の動員もなく集めている。法案成立後も、立派に政党とは一線を画する運動体としての役割を果たしているのである。
法案成立後に「SEALDs」を揶揄し、法案成立阻止できなかったことをあげつらう言論は、最初からそういう運動に懐疑的だった層からのものが多いのではないかと思う。「期待したのに裏切られた」という議論は、あまり、聞かないのである。
3 従来の枠組みでは考えられない政治連合の構成を促した そして、SEALDsの運動によっても作り出された政治状況で何よりも凄いのは、共産党を含めた野党共闘の可能性が開けてきたことだろう。共産党が政治の中心から排除されている(反対側から見ると共産党の独善)のは、筆者の薄っぺらな教科書的知識の限りでは、1970年代の社共の「革新共闘」のあとの1982年の「社公合意」で決定的となった以来のことのように思える。SEALDsや「SEALDs」の運動は、この、33年にわたって解けなかったパズルを解きつつあるように見える。今、安倍政権は強権を振るっているが、これは、政権の支持層が薄いことの裏返しである。自民党の谷垣氏や、公明党の山口氏など、いまからこの野党共闘に戦々恐々であり、まだ何も実現してないのに牽制する発言をしている。小選挙区制の下では、僅かな票差によりシーソーゲームが起こる。そのことに、現実的な危機を感じているからだろう。
まとめ もちろん、野党共闘が実現するかどうかは分からない。しかし、それを実現させるのは、共産党の志位和夫委員長自身が「国民連合政府」の提案の際に述べたように、SEALDsや「SEALDs」の運動なのである。SEALDsや「SEALDs」の運動に対する一定の評価が定まるのは、これらの動きの行方が見えてきた後なのではないだろうか。筆者は、反・安保法制の運動や、立憲主義擁護運動について、その積極的な役割を認めず、途中経過で否定的な結論めいたものを出すのは、偏狭であり、まだまだ、早計に過ぎるのではないかと思っている。