2018年01月11日

SM−3ブロック2Aミサイルを日本国が米国から買わされる意味

 米国が日本にSM−3ブロック2Aミサイルを150億円で売却する話が進んでいる。曰く北朝鮮対策だと。
日本経済新聞「新型迎撃ミサイル、米が日本に売却方針 国務省が議会通知(2018/1/11付)

 しかし、北朝鮮が本気で日本の国土(在日米軍基地か原発だろうが)を狙ってくるとするなら、より迎撃困難な方法を取るはずで、ロフテッド軌道(本来はホームラン級の力がある弾道ミサイルをピッチャーフライの弾道で撃つ、といえば分かりやすいかもしれない)で撃ってくる可能性は十分考えられるだろう。何しろ、素人の私でも思いつくし、北朝鮮は、実際、その手の実験をやっている。

 そして、日本政府は首都圏などに配備されている迎撃ミサイルPAC3がこのロフテッド軌道に対応できないことを認めている。ミサイルが頂点に達する最高高度がとても高いため、落下の過程で速度がどんどん上がるので、この落下速度の速さゆえ、PAC3では迎撃困難〜不可能になるのだ。

 では、SM−3ブロック2Aならどうなのか。北朝鮮の弾道ミサイルは、“ピッチャーフライ”であるロフテッド軌道の頂点は高度4000kmにも達する。一方、このSM−3ブロック2Aの守備範囲はせいぜい高度1000kmのようだ。このミサイルは、フライが頂点に達した近辺の、一番スピードが遅いところを狙って打ち落とす仕組みなのだが、頂点に届かないのだ。そうすると「ターミナル」と言われる、ミサイルの落下過程に近づいた段階(1000kmまで落ちてきた段階)で打ち落とすことになるが、これはPAC3で対応できないことと同様の困難が生じる。


 結局、このミサイルは、北朝鮮が決死の覚悟で自爆してきた場合に生じる(米軍基地周辺の)日本国の被害を食い止めることはできないと考える方が、間尺に合ってるのではないかと思う。
 一方、北朝鮮がグアムやハワイを狙う場合、“ピッチャーフライ”たるロフテッド軌道では届かないので、ホームラン級の通常の弾道を用いることになり、その場合、北朝鮮の弾道ミサイルは高度500kmほどが頂点となり、SM−3ブロック2Aの射程に入る。結局、日本の税金でアメリカの防衛をさせられるのだ(日本国憲法では禁じられている集団的自衛権の行使になる可能性もある)。
 このミサイルの購入は、日本の防衛との関係では、高い無駄金を払わされ、安倍首相以下、国内の極右勢力は勝手に意気軒昂になり、対中、対北朝鮮の軍事的緊張が増し、マイナスの結果しかもたらさないように思う。
posted by ナベテル at 11:07| Comment(6) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月28日

高度P制(残業代ゼロ)法案は参院選の重要争点です

 7月10日が投票日の参議院通常選挙の選挙戦もいよいよ佳境に入ってきましたね。筆者は労働弁護士を名乗っているので、その観点から、労働者の生活全般に大きな影響を与える可能性がある争点を指摘したいと思います。
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法案は継続審議で参院選後に動き出す
 現在、国会に係属中の法案で、今後の労働者の働き方に大きな影響を及ぼす可能性があるのが、政府が国会に提出した「労働基準法等の一部を改正する法律案」です。政府・与党(自民党・公明党)の説明によると労働時間と賃金を切り離した「高度プロフェッショナル制度」などの導入をする法案であり、野党の説明によると「残業代ゼロ法案」「過労死促進法案」とされます。労働弁護士の界隈では「定額¥使い放題」法案とも言われています。
 この法案、今年の通常国会では審議されませんでしたが、廃案になったわけではなく、現在、衆議院で「閉会中審査」の対象となっています。

概要その1(裁量労働制の拡大)
 この法案、実は、主に二つの制度から成り立っています。一つは「裁量労働制」の拡大です。これは労使で一定の手続を経ると、現場で労働者がどんなに働いても、事前に決められた労働時間だけ働いたことになる制度です。厳密には労働時間のみなし制度なので、筆者や他の労働弁護士などは「定額¥使い放題」制度と呼んでいます。
 この法案ではこの裁量労働制の拡大が盛り込まれており、特に現場への影響が懸念されるのは
法人である顧客の事業の運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析を行い、かつ、これらの成果を活用した商品の販売又は役務の提供に係る当該顧客との契約の締結の勧誘又は締結を行う業務

への対象の拡大です。いわゆる「提案型営業」ですが、法人相手の営業マンの多くは、日本語の字面ではこの要件に該当しますね。また、法律上厳密には該当しなくても、隣接する労働者に脱法的に適用されてきたのが労働基準法の常です。現在の法制度では、営業マンなど外勤の労働者に残業代を支払わないのはほとんどの事例で真っ黒な違法(従って是正可能)ですが、現場では残業代を支払わない実態が横行しています。そういうブラック企業が、この制度に飛びつく可能性があります。裁量労働制には「年収1000万円以上」などの年収要件がないため、この法案が成立すれば、外勤の労働者にこの制度が脱法的に導入され、ますます規制が難しくなるのが大きな懸念材料です。

概要その2(高度プロフェッショナル制度)
 二つめは「高度プロフェッショナル制度」と言われ、年収1075万円程度以上の労働者について、一定の要件の下、労働基準法の労働時間規制を撤廃するものです。労働時間規制には残業代による規制も含まれるため、これを指して政府は「労働時間と賃金のリンクを切り離す」といい、読売・日経などは「脱時間給」といい、野党は「残業代ゼロ法案」と言うのです。
 一方、拙稿「残業代ゼロ法案を図示するとこうなる」で指摘したように、この法案が成立すると、対象となる労働者は、いわゆる“過労死ライン”をはるかに超える労働を慢性的に強いられる可能性があります。この法案が「過労死促進法」の異名をとるのはそのためです。当面、この法案が想定するのは年収が1075万円を超える労働者だけですが、労働者派遣法など他の法制の拡大経過や上述の裁量労働制の拡大の経過を見る限り、将来、年収要件が引き下げられ、適用が拡大される可能性は十分あります。

正真正銘・アベノミクスの一部である

 この「高度プロフェッショナル制」などの導入は、安倍政権の経済政策である「アベノミクス」の最初の三本の矢のうち、3つめの成長戦略の中に明確に位置づけられていました。首相官邸のホームページにも今でも以下の文言が残っています。
時間が人を左右するのではなく、人が時間を左右する働き方へ!
時間ではなく成果で評価される働き方をより多くの人が選べるようになります。
政府の主な取組
一定の年収要件を満たし、高い能力・明確な職務範囲の労働者を対象に、労働時間と賃金のリンクを切り離した働き方ができる制度を創設します。
「首相官邸ホームページ人材の活躍強化 〜適した仕事を選べます〜」より

 ここにある「労働時間と賃金のリンクを切り離した働き方ができる制度」が高度プロフェッショナル制のことを表しています。結局、この法案は明確に、安倍首相が選挙争点にしている「アベノミクス」の一部なのです。なお、政府は、この法案について「時間ではなく成果」で賃金が支払われる制度と言いますが、法案には、成果による賃金支払を義務づける部分も、成果測定の一般原則も、何も決まりがありません。

野党の対応
 野党は、この法案には反対しており、昨年の国会で審議されたものの、この法案はまだ成立していません。
 また、労働者全体にインターバルの導入(前日の労働とその次の日の労働の間に一定の休息時間の導入を義務づけ)、使用者による労働時間把握義務の強化(罰則の導入)などを求める労基法改正法案を国会に提出、係属しており、他の争点はともかく、この争点での与党と野党の対立軸は明確になっています。すなわち労働時間の規制緩和(与党)と労働時間の規制強化(野党)が争点です。
2016/4/19時事通信「長時間労働規制法案を提出=上限設定など求める−野党4党」
法案はこちら→「労働基準法の一部を改正する法律案」

政治はあなたを待ってくれない
 大手のメディアが詳しく報道しなくても、選挙争点の報道がピンぼけしていても、選挙後の政治は、あなたを待ってくれません。安倍政権が掲げる「時間ではなく成果による賃金」という成長戦略を信頼して与党に一票を投じるのか、その本質を「定額使い放題」「残業代ゼロ」だとする野党を信じて一票を投じるのか、有権者の判断が待たれています。
Yahoo!より転載。http://bylines.news.yahoo.co.jp/watanabeteruhito/20160627-00059313/
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2016年05月17日

五輪招致の「コンサル料」で電通を追及するなら都に監査請求をすべきである

 東京オリンピック招致を巡る「コンサル料」問題で、契約書も確認できないような2億円超の支出が易々と許容されることはないだろうと思っていたら、主務大臣であるはずの文部科学大臣が火消しを始めてビックリした。

東京五輪 馳文科相「核心に触れる情報必要だった」 コンサル料の妥当性強調
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160517-00000525-san-soci

 そこで、この2億円超が実際、どこから出てきたのか調べてみた。
 オリンピック招致委員会は、東京都と日本オリンピック委員会(JOC)などで組織しているが、JOCの「業務・財務」を見る限り、平成24年度、平成25年度にオリンピック招致のために多額のお金をつぎ込んでいる様子は見られない。
 一方、東京都のホームページの予算関係の項目を見ると、オリンピック招致のために、都スポーツ振興局が平成24年度に約20億円、平成25年度に約13億円の予算を組んでおり、平成25年度は「IOC総会での最終プレゼンテーション」のために使われる旨の記載がある(PDFはこちら)。問題の「コンサル料」が支払われたのは平成25年7月と10月のことである(2016.5.13時事通信)。

 現状、2億円余のお金が一体どこから捻出されたのか定かではないが、東京都民の税金がつぎ込まれている可能性は充分あるのではないだろうか。東京都の税金の使い道をただすのは都知事と東京都議会であるが、地方自治体の場合、地方自治法で「住民監査」の制度が導入されており、都民も都に対して監査を請求できる。フランスで捜査が始まる中で、日本政府が強引な火消しをするのなら、東京都民にはカウンターに監査請求をおすすめしたい。監査請求の仕方はこちらに載っている。
東京都監査事務局:住民監査請求の手引

穿った見方
 この先は単なる「穿った見方」で、やり過ぎると陰謀論に陥るのだが、ここまで調べたところで、自分の頭の中では政府与党−電通−招致委員会が何やら直線でつながった。
 今、オリンピック招致の不正問題にやや先行し、それとかぶる形で、東京都知事である舛添要一氏に対するバッシングが行われている。筆者もそれ自体は正当な追及と考える。この問題は、最初に出張費用の無駄遣い問題から始まり、政治資金のセコイ不正使用疑惑に発展している。しかし、個別の問題で見ると、出張費用の無駄使いの問題は、共産党などは石原都政時代から延々と指摘し続けており、筆者から見ると「今さら」感が強い。石原慎太郎はクルーズ船で豪遊する代金まで税金で支出していたと記憶している(2006年11月16日「しんぶん赤旗」石原東京都知事 税金使った“海外旅行”豪遊 1回平均2000万円)。政治資金の問題も、これ単独なら修正してお終いだろう。自民党のセンセイ方はみなそれで乗り切っている。単独では賞味期限切れ、効果薄の問題が合わせ技で繰り出されることで、辞任すらちらつく状態になってきたのである。客観的にはなかなか上手い展開である。その上、下記のニュースのように、なぜか舛添氏を担いだはずの自民党筋から批判が出ている。収賄の疑いすらある甘利氏の件を放置して舛添氏を追及する与党の議員はちょっと滑稽である。大阪府知事・大阪市長時代に、「俺は東京都知事か総理大臣になりたい」と額に書いてあるように感じた橋下徹まで批判に乗り出し、何やら腐臭が漂う。

「舛添氏は他人に厳しく自分に甘いところがあるのではないか」自民・下村氏バッサリ(2016年5月14日 スポーツ報知)
http://www.hochi.co.jp/topics/20160514-OHT1T50082.html
舛添知事は「猛省が必要」 谷垣氏、政治資金問題を批判(2016年5月17日朝日)
http://www.asahi.com/articles/ASJ5K41YBJ5KUTFK003.html

 もともと、筆者は、舛添おろしは甘利問題や景気低迷など、政府系の不祥事から目をそらす「スピン」と、あわよくば、参院選と都知事選のダブル選挙を狙った政府与党の仕掛けか、とも思っていた。そして、今、政府・与党のメディア対策は電通がかなり関与しているはずである。この点、オリンピック招致の不祥事は、電通自体が不祥事の中心にいる。そう考えると、スピン、ダブル選挙狙いの他に、不祥事問題で都知事である舛添の足を取ることで電通自体の不祥事に対する追及を最小限に食い止めようとする狙いもあったと考えると、なにやら上手く説明が付いてしまう。すなわち、電通と蜜月の政府・与党が火消しに走っている状態では、この2億円問題を追及すべき機関は東京都知事と東京都議会ということになるが、舛添自身の不祥事で、都知事と都議会がケンカを始めれば、オリンピックの方はおのずと影が薄くなるのである。まあ、この手の偶然の符合は社会に沢山あると思うので、この仮説にこだわる気は全くないが、いずれにせよ、攻めるには監査請求が吉ということなので、東京都民はガンガン監査請求をやって欲しい。
posted by ナベテル at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月25日

北海道5区の補選に対するとりあえずの評価

 候補者の池田まきさん、野党共闘を支援した市民の皆さん、政党関係者の皆さん、お疲れ様でした。ところで、もう、好き勝手な選挙評があっちこっちで出ているので、筆者も好き勝手に書いてみようと思う。

1 基礎的な力関係を前提に見ないと意味がない
(1)内閣支持率
 世論調査で一番安定性が高いのはNHKの「政治意識月例調査」だと思っているが、この調査では、内閣支持率は42%(不支持率は39%)。まだ、安倍内閣は国民に支持されている。中間選挙は現政権に対する中間評価的な意味合いを持つことが多いとされるので、基本的には与党有利なのである。ただし、北海道は沖縄、福島などと並んで内閣支持率が高い地域ではある。
(2)政党支持率
   自民34.9%
   公明 4.1%
     合計39%
   民進 9.1%
   共産 4.8%
   社民 0.5%
     合計14.4%
 与党がダブルスコア以上で勝っている。北海道の場合、新党大地の票がこれに上乗せされる。今回の場合、与党についたようである。
(3)選挙区
 ウィキペディアで見る限り、亡くなった自民党の町村信孝氏が、1996年の小選挙区制導入後、ずっと議席を押さえてきたいわゆる「保守王国」であり、番狂わせが起きたのは2009年の総選挙のみ。このときは民主党が政権に就いたときの選挙であり、地滑り的な勝利であった。ああいう情勢にならない限りは自民党が勝つ選挙区なのである。
(4)小括
 基本的には自公が「勝って当たり前」の選挙区であり、寄り合い所帯の野党共闘でいきなり勝利したら、永田町には激震が走り、安倍政権が参院選後に退陣する可能性がゴールデンウィーク前に現実味を帯びてくる展開だっただろう。
 一時、池田まき候補が優勢と伝えられたあとの与党の票固めはかなり激しかったと思われる(最終盤でこれをやれるのは自民党の底力でもある)。負けたらマジでやばかったのである。

2 無党派を巻き込み互角の戦いに持ち込んだ意味

 今回の選挙結果を見る限り、野党共同候補の池田まきさんは、前回総選挙(2014年12月)の民主党と共産党の票を足したくらいの票を取っている。この点、今の民進党の支持率は当時の民主党の支持率(11.4%)より大分低い。民主党は、前回総選挙で完膚なきまでに負け、潰走寸前だったわけで、踏みこたえて「前回並み」まで持ち込んだのは非常に大きいだろう。民進党の足腰が弱い状況で互角の戦いに持ち込めたのは、もちろん、無党派層の動向と、共産党の全面的支援である。
 また、選挙を取り巻く状況も、決して野党有利では無かった(というか僅か数ヶ月前までひたすら「安倍一強」と言われ続けていた)のに、ほぼ互角の戦いに持ち込んだことの政治的な意義は決して少なくないと思う。実際、安倍政権は、もちろん熊本のことなどもあるだろうが、解散総選挙を見送った、と言われる。自公政権はこれから「勝った、勝った」「野党共闘は機能しなかった」と宣伝するわけだが、実際のインパクトは、政権の行動が表しているのである。
 いずれにせよ、奮闘したいけまきさんは、比例復活まで含めれば、次回の総選挙で議席を得られる可能性は大分高まったんじゃないだろうか。今後も野党共闘の枠組みの中で、懐の深い政治家として成長して頂きたい。

3 野党共闘の効果をどう見るか
(1)1+1=2となった意味
 野党共闘に対する民進党内や支持組織におけるネガティブな議論の根拠は「共産党と組むと票が逃げる」であった。しかし、今回の選挙で、池田まきさんは、民進党支持層、共産党支持層の票を固めきり、投票に行った無党派層の多数票も得た。このことが、野党共闘内部での不協和音を打ち消すのに与える影響は極めて大きいだろう。
 その象徴が民進党の前原誠司と、共産党の穀田恵二が同じ場所で街頭演説に立ったことだと思う。この二人は、ともに京都に基盤を置く政治家であり、前原誠司は数ヶ月前まで共産党を「シロアリ」と呼んでいた、野党共闘消極派の急先鋒である(あった)。京都にいる筆者からすると、この二人は「不倶戴天の敵」であり、同じ場所で同じ候補を推すために街宣をするなど、考えられないことなのである。

 そして、この「1+1=2」が成立してしまったことは、永田町にとっては恐怖なのである。なぜなら、この単純な数式が成り立つことを前提に、前回総選挙の結果から次期総選挙の結果を予測すると、自民党が単独過半数を割りかねないからである。それは、この間、いくつかの週刊誌が報道したとおりである。野党にちょいとばかりの風が吹けば、自公は一気に下野することになる。
(2)共産党へのネガティブキャンペーンが効かない
 「1+1=2」が成り立ってしまったことに関連するが、北海道5区では、共産党を民進党や市民から分断するために、古色蒼然たる「暴力革命政党」宣伝もされたが、それもあまり効かなかったようである。自公にとっては、15年くらい前まではそれなりに効いていたこの種の宣伝方法が、もはや国民に響かなくなっているのも、脅威であろう。

4 目標との関係で結果を見る必要(安倍政権一発退場へはまだハードルが高い)
 このように、北海道5区の野党共闘がそれなりに機能し、もはや「安倍一強」ではない政治情勢であることが明らかになったのは、参院選を前にした政治情勢としてはとても重要である。投票に向かった無党派層が野党共闘を支持しているのも重要である。
 しかし、一方で、参院選で自公を完膚なきまでに叩きのめし、安倍政権を一発退場させるには、まだ、パワーが足りないのも事実だろう。そういう意味で、市民+野党共闘の枠組みが、より訴求力のある政策を打ち出す必要を感じるのである。すでに述べたように、この選挙で、野党共闘の基盤は固まってきたと思うので、共通政策の打ち出しなど、検討して欲しい。
posted by ナベテル at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月29日

SEALDsの大いなる通過点

 安保法制(戦争法制)の法案可決後、ネット上では、なぜか反対運動を展開したSEALDsを非難する言論が盛り上がっている。
 一番人気を集めたのはこれだ。

「なんかSEALDs感じ悪いよね」の理由を考える ──中国や台湾の学生運動との比較から──


 この論考は、天安門事件等の学生運動の失敗例と、台湾での成功例を並べているが「出羽守」に陥っている感が否めず、また、SEALDsの運動の射程としてかなり早い時期から2016年の参院選が入っていたことを考えると、現在の到達点で台湾の学生運動とSEALDsを比べるのはフェアでないように思う。というか、台湾の学生運動は、国会(立法院)の物理的占拠もしており、その辺の運動のやり方としては60年安保の時の全学連のやり方に似ている面もあると思うのだが、今、日本でそんなやり方は支持されるのだろうか??
 最後のスローガンの比較も、チョイスが恣意的で適切な比較になっていように思える。筆者の思うところ、SEALDsのスローガンは「立憲主義って何だ?」「民主主義って何だ?」に集約される。筆者が唯一参加した9月17日の国会前の行動でも、これらのコールは繰り返されていた。SEALDsの運動は、日本の政治の歴史で言えば、今後の流れ次第では「憲政擁護運動」とも位置づけられる余地があり、単なる現状批判ではなく、十分に肯定的な要素を含んでいると思われる。

 もう一つ流行った論説として、ホリエモン(堀江貴文氏)のものがあるが、レッテル貼りをするものの、批判に内容がなく、実際はサイトへのアクセス数を増やしてアフィリエイト広告収入を増やしたいだけなんじゃないかとすら思える。
「ホリエモンが三度警鐘、今のSEALDsに感じる危険性」

 その前のホリエモンの論考では、「今回の安全保障法案は戦争法案ではない」「徴兵制に向かうものでもない」「積極的に戦争を仕掛けようというものではない」と言う。
 しかし、安保法制には、実際、従来の意味での「専守防衛」の範囲を遙かに超え、国外での「武力行使」「武器使用」をする場面が様々に出てくる訳で、これが「戦争法制」でなければ何が戦争法制なのか、と思ってしまう。ROE(Rule of Engagement)のことを「交戦規則」と言うのと同じように、安保法制を「戦争法制」というのは的を得たネーミングだと思われる。
 「徴兵制云々」は、SEALDsの主張にそのようなものが含まれているのか分からないが、わら人形論法のようにも思える。ただ、この間、与党の有力議員が徴兵制肯定論を繰り返し垂れ流しているのは事実であり、安保法制を推進しようとする勢力の中に、そういう論者が沢山いることを疑うのは、むしろ健全なのではないかと思う。我が国のネット上の徴兵制を巡る議論は、この議論の震源地が常に、徴兵制やそれに類似する制度を肯定する自民党議員の発言であるのに、徴兵制の実現に否定的な勢力が、それらの自民党議員を批判しない。それどころか、自民党議員に対して「奴らは危ない。危険だ。放っておくと本当に徴兵制になるぞ。」と批判する勢力に対して、「徴兵制とかないしwバカすw」とあざ笑っているように見える。これは、奇妙なねじれと言うほかない。ホリエモンを含め、徴兵制の実現を否定するのなら、それらしい発言をしている自民党議員を批判したらどうだろうか。
 「積極的に戦争を仕掛けようというものではない」というのも、SEALDsの主張を直接は知らないが、しかし、一方で、ホリエモン自身がアメリカの役割の「分担」を認めている以上、ホリエモンの立場からしても、アメリカの下請で戦争や武力行使や「武器使用」の事態に巻き込まれることは十分あり得るんだろう。そうであれば、SEALDsがそう言っているかは知らないのでそのことは別として、そのような法制をわざわざ作る作業を「積極的に戦争に参加しようとしている」と評するのは、決して的を外してないのではないかと思う。
「私がSEALDsをdisる理由」
http://weblog.horiemon.com/100blog/31497/

 さて、主題から大分、遠回りしたが、言いたいことは、ホリエモンの批判は、ホリエモンと同じ立場に立つ者には分かる類の批判で、必ずしも鋭いものになっていないし、どこまでSEALDsプロパーのものなのかも判然としない、ということである。

「SEALDs」の功績
 さて、見出しで「」をつけてみた。筆者の見るところ、ホリエモンの評論に代表される意見は、結局のところ、安保法制に対する反対世論の隆盛に対する批判を展開するために、その象徴としての「SEALDs」を叩いているのだ。様々な観点から批判している反対勢力の“不都合な点”を、SEALDsに押しつけている。これは、いくらなんでも酷いのではないだろうか。
 逆に、安保法制に反対する勢力も、SEALDsを祭り上げすぎなのかもしれない。この間、安保法制への反対闘争に加わった市民の裾野は、筆者の周囲を見ても、驚くほど広く、政治思想的には新左翼、左翼、社民主義・リベラル、保守までいたし、年齢層も実に幅広かった。日本の伝統仏教に属する宗教団体からも多くの反対決議が上がった。「学者の会」「立憲デモクラシーの会」など学者団体や、日弁連や単位弁護士会など、弁護士会が果たした役割も大きかった。安保法制への反対闘争は、このような裾野の広い国民各層の意識が作り出したもので、決してSEALDsだけが作り出したものではない。我々は、お互いの健闘を讃え、次につなげていくべきなのだと思う。このような事態を細かく把握しようとしない者にとってはそれが「SEALDs」となるように見えるのだ。
 だがしかし、筆者はそれでもなお、SEALDsへの賛辞を惜しまない。以下、いくつか述べる。ただ、この賛辞も、実際はSEALDsではなく「SEALDs」に対するものなのかもしれない。

1 原理・原則の大切さを振り返らせてくれた
 SEALDsの主張の根本は、上記のように「立憲主義擁護」「(立憲的)民主主義の擁護」であろう。筆者からすると、(冷静な)安保法制賛成派の議論をみていても、立憲主義の擁護に対する意識は低いといわざるを得ない。論者の中の相当数が「本来は憲法改正してやるべし」と平気で言うのだから。賛成派と反対派の根本的な違いの一つは、政府・与党が、憲法を、従来政府自身が繰り返し述べてきた解釈も、文理解釈も遙かに超えて「弾力的」(恣意的)に解釈・運用することの是非なのであり、言い換えれば、憲法改正を問わないままでの平和憲法の決定的な変容を是とするか否かなのである。政府の国会答弁を前提にしても、安保法制は「備えあれば憂い無し」の類であり、これを制定する差し迫った危険があるわけではないのだから、こう考えざるを得ないだろう。そして、筆者もそうであるが、反対派はこれを立憲主義の危機と捉えるのである。一方、安保法制を立憲主義の危機と捉えない立場からすれば、SEALDsの運動は最初から意味のないものに映るかもしれない。
 SEALDsは、この深い対立について、反対派を鼓舞するために「立憲主義って何だ?」の問いかけを最後まで止めなかった。もともと、欧米の立憲主義とか、民主主義とかいう概念は、日本の“世間の常識”からすると、非常に青臭いものだ。ともすれば、それらの崇高な理念を“世間の常識”で粉飾し、多数決民主主義という名の単なる多数決に陥りがちな年長の世代(それには政治家も含まれる)に対して、“世間の常識”に染まっていない若者たちが投げかけ続けた問いは、非常に鮮烈だったし、今後も、しばらくはその問いかけの効力が続くだろう。

2 国民各層を勇気づけた

 立憲主義にしろ、民主主義にしろ、平和主義にしろ、それらがどのように崇高な理念であっても、次世代の若者たちがその価値を認め、承継して行ってくれなければ、その価値は途端に色あせてしまう。逆に、若者たちがその価値を承継してくれることは、その前を走っていた世代にとってはこの上ない励ましになり、自らが歩んできた道の肯定ともなる。
 SEALDsの運動により、それより+15歳の筆者ですら、大いに励まされ、街頭で何度もハンドマイクを握って話をした(そして、自分が最早、若くない、という、薄々感じていた事実を再確認し、寂しい思いもした)。筆者より上、特に70年安保闘争前後の世代の喜びよう(または危機感)は、立場を超えてそれよりもっと凄かったであろう。すなわち、SEALDsの運動が「SEALDs」を生み出した側面は確実にあるのだ。筆者は、その結果生まれた安保法制に対する反対世論は、60年代安保の反対闘争よりも、裾野も、到達点も高いと感じる。
 筆者が「到達点が高い」と考える根拠の一つであるが、法案が成立した後も、運動目標があり、挫折感がない(少ない)こともなかなか凄い。これは、彼らの中で、参院選という次のターゲットが明確だからである。実際、各地のSEALDsは、民主党内が後述の「国民連合政府構想」でぎくしゃくしている間も、民・共を含む野党各党の要人を引っぱり出して、同じ席に座らせ、街頭演説をさせて、かつ、その場に、総理大臣の街宣でも集められないような多数の人を、特段の動員もなく集めている。法案成立後も、立派に政党とは一線を画する運動体としての役割を果たしているのである。
 法案成立後に「SEALDs」を揶揄し、法案成立阻止できなかったことをあげつらう言論は、最初からそういう運動に懐疑的だった層からのものが多いのではないかと思う。「期待したのに裏切られた」という議論は、あまり、聞かないのである。

3 従来の枠組みでは考えられない政治連合の構成を促した
 そして、SEALDsの運動によっても作り出された政治状況で何よりも凄いのは、共産党を含めた野党共闘の可能性が開けてきたことだろう。共産党が政治の中心から排除されている(反対側から見ると共産党の独善)のは、筆者の薄っぺらな教科書的知識の限りでは、1970年代の社共の「革新共闘」のあとの1982年の「社公合意」で決定的となった以来のことのように思える。SEALDsや「SEALDs」の運動は、この、33年にわたって解けなかったパズルを解きつつあるように見える。今、安倍政権は強権を振るっているが、これは、政権の支持層が薄いことの裏返しである。自民党の谷垣氏や、公明党の山口氏など、いまからこの野党共闘に戦々恐々であり、まだ何も実現してないのに牽制する発言をしている。小選挙区制の下では、僅かな票差によりシーソーゲームが起こる。そのことに、現実的な危機を感じているからだろう。

まとめ
 もちろん、野党共闘が実現するかどうかは分からない。しかし、それを実現させるのは、共産党の志位和夫委員長自身が「国民連合政府」の提案の際に述べたように、SEALDsや「SEALDs」の運動なのである。SEALDsや「SEALDs」の運動に対する一定の評価が定まるのは、これらの動きの行方が見えてきた後なのではないだろうか。筆者は、反・安保法制の運動や、立憲主義擁護運動について、その積極的な役割を認めず、途中経過で否定的な結論めいたものを出すのは、偏狭であり、まだまだ、早計に過ぎるのではないかと思っている。
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