2013年08月22日

千葉君の打撃を擁護する野球素人だけど法律家の意見

 夏の甲子園で、花巻東高校の千葉翔太君の“カット打法”が論争になっている。最初に言っておくが、筆者は野球はずぶの素人である。今年の甲子園もほとんどチェックしていない。しかし、素人なりに阪神ファンであり、時間があれば高校野球も見たいし、学生時代は神宮第2球場まで東京予選を見に行ってたし、日本国民は、素人ブラジル人がサッカーを語る程度には野球を語る“権利”があると思うので、門外ながら、一筆言上申し上げる。といっても、僕は法律家なので、規則とか、ルールとか、そういう側面からである。

規則の確認
 件の規則は、高野連のホームページにちゃんと掲載されている。
17.バントの定義
バントとは、バットをスイングしないで、内野をゆるく転がるように意識的にミートした打球である。自分の好む投球を待つために、打者が意識的にファウルにするような、いわゆる“カット打法”は、そのときの打者の動作(バットをスイングしたか否か)により、審判員がバントと判断する場合もある。
(規則6.05(d))

 法律家なので、法律の要件事実的にバントの要件を確認すると
(1)バットをスイングしない
(2)内野を緩く転がるように意図的にミートした打球
の二つの要件をいずれも満たしたものである。
 そして、さらに、「自分の好む投球を待つために、打者が意識的にファウルにするような、いわゆる“カット打法”」について、バントの判断指針が示されているが、そのときに判定対象となるのも
(3)そのときの打者の動作(バットをスイングしたか否か)
であり、バットのスイングの有無であることが分かる。
 裏を返せば、自分の好む投球を待つために意図的にファウルする場合でも、バットをスイングしていれば許容される(ファール性の当たりでスリーストライク取られない)のが、高野連のルールなのである。

千葉君の打法の確認
 早速、千葉君の打撃を見てみる。

 文字媒体で情報を仕入れている間は、もっと際どい打法なのかと思っていたが、これは素人の筆者が見てもバットをスイングしているように見える。そして、千葉君の個人成績が公式に開示されていないので、2ch情報に頼るが、鳴門戦が終わった段階で以下のようになっている。
遊安 四球 遊ゴ 左安 左安
二安 三振 三ゴ 右3 中安
四球 中安 四球 四球 四球

打率.700 出塁率.800
「痛いニュース」より

 2ch情報が信用できる前提に立てば、立派な成績だ。カットでファールにする「だけ」が能の選手でないことが分かる。
 ルール上は、千葉君の打撃は「シロ」としか言いようが無いのではないか。

不可解な“大人の事情”

 これに対して、大会本部、審判部は、卑怯な作戦に出た。
 実は19日の準々決勝の後、大会本部と審判部からカット打法について花巻東サイドに通達があった。「高校野球特別規則に『バントの定義』という項目があります。ご理解ください」。

 「バントの定義」とは「バントとは、バットをスイングしないで、内野をゆるく転がるように意識的にミートした打球である。自分の好む投球を待つために、打者が意識的にファウルするような、いわゆるカット打法は、そのときの打者の動作(バットをスイングしたか否か)により、審判員がバントと判断する場合もある」というもの。

 千葉のカット打法はバスターのような構えから三塁側にファウルを打つが、これがバントと見なされる可能性があるということか。2ストライク後にファウルを重ねればスリーバント失敗で三振となる。大会本部、審判部は「バントの定義に触れるんではないか、ご理解ください、分かってくださいということです」と説明したが、この通達により、千葉はカット打法を封印せざるをえなくなった。
日刊スポーツ「花巻東・千葉 カット打法できず号泣敗退」

 野球の審判は、訴訟で言えば裁判官であり、試合中においてその判断は絶対だ。プロ野球でも、あとで誤審を謝罪することはあっても、試合中の審判の判断が事後的に変わることはないのではないか。まして、高校野球では大会主催者は絶大な力を持つ。主催者、審判がすべきなのは、ルールに従って試合中に千葉君の打法を審判することであり、「理解」という名前で圧力をかけ、打法を封印させることではない。これは自らが判断を迫られる厄介な問題を回避し、試合の当事者である花巻東高校に、面倒を抱え込みたくないという主宰者の意図を「忖度」させ、「自主的」に諦めさせるという、実に卑怯なやり方だ。もっと穿った見方をすれば、「ルール上はバントにならないが高校生らしくない」という意図が裏にあるようにも思える。
 本件で、一番卑怯なのは、間違いなくこのような大人の事情で「自主的に諦める」圧力をかけた人々だろう。

監督は己を貫徹し、千葉君を守るべきだった
 そして、次に批判されるべきなのは、花巻東の監督だろう。監督は、千葉君に“カット打法”の練習をさせ、それをチーム戦略に位置づけ、甲子園まで来た。そうなのに、主催者側のルール外の場外乱闘的な「理解」に屈し、千葉君が(恐らく、監督の指示で、血のにじむ努力をして)積み上げてきた打法を一瞬で無にした。これは、地方大会や本大会で花巻東に破れたチームに対する背信行為でもある。監督は自分の筋を通せなかった責任があり、それらのチームや千葉君に土下座して謝るべきだろう。
 この件を見ていると、今はスターとなり、すでに引退した松井秀喜が甲子園球児だったときの「五打席連続四球問題」というのを思い出す。しかし、明徳義塾高校の監督はピッチャーに松井の敬遠を指示し、(僕の記憶によれば)観客のブーイングにも似たどよめきの中でもその方針を貫徹した。もっとも、あのときも、試合後にルール上は全く問題ない敬遠について、「高校生らしくない」「正々堂々勝負すべき」という批判が巻き起こったが。筆者は、打撃力が松井に偏重している星陵高校の弱点を見抜き、冷徹な作戦で押さえ込んだ明徳義塾の監督を評価しているし、それは卑怯でも何でもないと思うのだ。
 今回も、花巻東の監督は、己が監督として積み上げてきたものを貫徹し、世に問うべきだったのではないだろうか。チーム戦略を失った花巻東高校は、準決勝で延岡高校の横瀬投手の好投の前に撃沈した。千葉君も得手を禁じられ、見る影もなかった。この辺の状況は
 「花巻東・千葉翔太クンのカット技術を「ご理解」によって封印させた大会本部の圧力が理解不能な件。」
が活写している。残念なのは、花巻東打線の沈黙が、相手投手の力によってねじ伏せられたものなのか、主催者・審判の圧力による戦略的・精神的動揺によるものなのか、判別がつかないことだ。リンク先にも書いてあるが、観客が見たかったのは、トリックVS正攻法のぶつかり合いだったのではないだろうか。

この一件から見えるもの
 鈴木大地のバサロスタート、スキー・ノルディック複合の活躍など、日本のアスリートが新技術で頂点を極めると、不利益なルール変更がされてきたことを何度か見ている。しかし、所定の手続でルールを変更するのはダメとは言えないし、「卑怯」な作戦を禁止するのに最低限必要なことだろう。しかし、大会の主催者はそれをせず、ルール外の圧力で千葉君を禁圧した。ルールの運用に責任を持つ側がルールによらないのはルールに対する冒涜だし、結局、主催者が「ルールブックではなく、オレがルール」
と言っているようなものだ。
 実は、こういう様は、高校野球に関わらず、日本社会でよく見られるように思える。そして、こういうやり方が非民主的な「寄らば大樹の陰」「知らしむべからず よらしむべし」の文化を作り、次世代が創意工夫や新たなチャレンジをする芽を摘んでいるのではないだろうか。これこそ、この件から垣間見える問題の本質のような気がしてならない。

2013.8.22 15:45追記
 上記の高野連のカット打法特別ルールが出来たきっかけになった当事者が千葉君の打撃を「問題なし」と証言している記事を見つけたので引用しておきます。
カット打法“禁止” きっかけは巨人・阿部の父「バントだ」(スポニチアネックス)
特別規則17項が設けられるきっかけとなったのが72年夏の東洋大姫路の9番・前原正弘選手だ。

 前原は千葉と同じくレギュラー最小兵の1メートル66。ファウルで粘って四球を選ぶカット打法は兵庫大会(12打数無安打10四球)からバントか否か議論を呼び、迎えた習志野との1回戦。初回2死一、二塁から2度カット打法でファウルした。

 1度目に習志野の捕手・阿部(巨人・阿部慎之助捕手の父)が「バントだ」とアピール。2度目に郷司球審から「フォロースルーをするように」と警告された。警告後の前原はカット打法はせず、2打数無安打で四球もゼロだった。

 これを機に17項が設定され、92年センバツ決勝で東海大相模の吉田(元近鉄)が帝京のエース三沢(元巨人)の投球をカットし、スリーバント失敗に取られた。

 ▼阿部東司さん(58) あの時はバッターがグリップを握った時、右手と左手が離れていてバントのように打ったから審判に言った。今回の千葉君は両手を離して構えていたけど、振る時には両手がしっかりくっついて打っていた。だから、この子はあの時と似てるけど、ちょっと違う。問題ないと思って見ていた。

 ▼前原正弘さん(59) 彼の悔しさはよく分かる。あの打法は選球眼やバットコントロールが大事で誰もができるものではない。私と同様、小さい体で何ができるか努力してレギュラーになった。高野連にはもう少し大きな目で見てほしかったし、準決勝の前に警告するのもどうか。私が郷司さんに注意されたのは甲子園初打席ですから。

2013.8.23 11:30追記
 トラックバックを頂きました。「あれはバントだ」と堂々の論証。議論が議論を呼んで面白いですね。丁寧に書いてあります。こちらもご参照下さい。念のため言っておくと、審判が責任をもってバント判定することについては異議がありません。僕自身書いてますが、スポーツでは、試合中の審判の判定はその限りで絶対ですから。
花巻東・千葉君のカット打法(故意のファール打ち)はバント!!法律素人なただの主夫の意見
 それにしてもスイングの定義が定まっていない、というのは面白いですね。空振りストライクとの関係では「ハーフスイング」という概念があるので、その限りでは「スイングとはハーフスイングを超える動作である」ということになりそうだけど、それをバントの場面で当てはめると、千葉君のスイングはそれをはるかに超えているようにみえる(従って空振りすればストライクになる)。しかし、その同じ動作について、ボールが当たったときは「スイングなし」と見ることがあり得るのか、という論点で、法律的な言い方に言うと「スイング概念一元説」と「スイング概念多元説」の論争になり得るのかもしれません。この方はそこは判断せず「審判裁量説」を前面に出していますが、主催者と審判団はそうやって下駄を預けられるのが嫌だったのでしょう。その辺の見解は一致しているように思われます。
posted by ナベテル at 12:54| Comment(227) | TrackBack(2) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月02日

麻生太郎のナチス発言を国語の受験問題的に分析してみる

 ツイッターや2ch周辺の議論を観察していると、麻生太郎のナチス発言について、「静かに議論したいと発言しただけだ」「ジョークだ」「前半と後半で首尾一貫していない(だから全体が曖昧で分からない)」といった発言が散見されるが、本当だろうか。
 早速引用してみよう。朝日新聞の「麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細」から引用した。ポイントとなるキーワードに色を付してある。また、段落番号は筆者が追加した。
 僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。

 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。

 私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。

 この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。

 しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。

 そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。

 ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。

 靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。

 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。

10 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。

11 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。

12 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。

 受験的に言うなら、いわゆる「二項対立」の発言だと言うことが分かる。対立しているのは赤字を付した「狂騒」「怒鳴りあい」「物議」「騒ぎ」「騒がれた」「騒ぎます」「喧噪」に対して青字を付した「静か」「静かに」「わーわー騒がない」という言葉だろう。そして、麻生太郎が後者の青字のカテゴリーに軍配を上げ、そちらの方向性を好み、肯定していることも読み取れる。

赤字の「騒ぎ」カテゴリーに分類されるもの

 そして、赤字カテゴリーの典型例として挙げられているのが、日露戦争の戦勝日での靖国参拝であり、また、靖国神社の参拝について日本国内で起きた「マスコミ」による「騒ぎ」とそれに反応した中国、韓国の「騒ぎ」である。国内で起きた「騒ぎ」の具体的な内容について、麻生は語らないが、文脈からすれば、閣僚や国会議員が靖国神社を参拝することに対する国民やマスコミの批判を指していると考えるのが妥当だろう。この問題の経過についてはwikiの「靖国神社問題」の項目に色々と書いてあるのでここでは触れない。ただ、首相や自治体首長の参拝や玉串料奉納については国内で繰り返し訴訟が提起されている問題で、日本国内の世論も鋭く対立しており、「マスコミ」が勝手に騒いでいる訳ではないことだけは指摘しておく。
 麻生は、こういう世論やマスコミの批判を「狂騒」と呼んで批判し、忌避すべきものとしているのである。

青字の「静か」カテゴリーに分類されるもの
 一方で、麻生が好意を示し、肯定的に評価している青字のカテゴリーに分類されるものは、まず、先程も触れた自民党内部での自民党改憲草案の議論の過程である。これは、みんな同じ方向性をもったいわば同志が議論しているのだから、麻生が言うような怒鳴りあいにならないのは当然だろう。
 次に、青字カテゴリーに挙げられるのが、麻生が言うところの「マスコミ」が「騒ぎ」始める前の政治家の靖国参拝であり、麻生が子供の頃の自身の靖国参拝である。
 そして、三つ目が、太字下線部にした部分である。もう一度全文引用すると、
<靖国問題での「騒ぎ」を受け>だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。
の部分である。麻生は、「ナチス憲法」(実際は「全権委任法」によるワイマール憲法の停止状態の事を指すと思われる)について、「静かに」「誰も気づかないで」「わーわー騒がないで」「みんないい憲法と、みんな納得して」変わったものだと主張しているのであり、そのただ中で、決めぜりふである「あの手口学んだらどうかね」と言っているのである。
 麻生発言が分かりにくいのは、そもそも歴史事実の認識が誤っていたり、「まさかヒトラーを肯定的に扱うはずがない」という思い込みがあるからであり、麻生の頭の中では上記のように、首尾一貫しているのである。

異論に耳を貸さず静かにやりたい憲法改悪
 そして、麻生発言には明確に現れないが、赤字カテゴリーに分類されていると思われるのが、自民党の改憲草案や憲法96条改正論に対する国内世論、マスコミの批判である。これは第6段落で、自民党内部での改憲案の議論を「静か」といい、一方で、第7段落の「今回の憲法の話も狂騒のなかでやってほしくない。」という発言に現れている。自民党の改憲草案(=今回の憲法の話)は、自民党が昨年12月の総選挙で大勝する中でも、ネット上でもボコボコに批判されているし、憲法96条改正問題については、今年になってから急激に世論が盛り上がり、憲法学者らが自民党を批判して「96条の会」まで作り、大手マスコミでも朝日、毎日などは社説で明確に反対の論陣を張った。その影響で、自民党が参院選前にほぼ沈黙せざるを得なかったテーマだ。
 最初から憲法を変えたい人間が集まった自民党内部の議論を青カテゴリーにし、「マスコミ」(繰り返すが実際はマスコミだけではなく国民世論である)等の外部からの批判を赤字カテゴリーにおいて、赤字カテゴリーでやって欲しくない、と言うのが麻生の主張なのである。麻生は第12段落でも「わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。」とのべ、あたかも「マスコミ」が「わーわー騒ぐ」民主主義が赤字カテゴリーに入るかのような発言をしているのである。ここに、上記のナチス称揚と一貫した麻生太郎の哲学が見えるのである。
 まとめれば、麻生発言は、彼の中では首尾一貫しているのであり、麻生は自民党の改憲草案が民主的に議論されてボコボコにされることを嫌っており、ナチスの手口を学んで国民が知らない間に憲法を変えてしまうやり方に共感を覚えているのである。
 こんな人間が、副総理と財務大臣を務める我が国が、本当に恐ろしいし、本当に恥ずかしく思う。

2013.8.3 17:15追記
 漫画評論家の紙屋高雪氏による評論。筆者の言葉足らずなところを非常に上手く補っていると思う。こちらもご一読を。
 紙屋研究所「麻生発言はナチ肯定なのか?」

2013.8.5 14:00追記
 もう、大分下火になってますが。「朝日の文字起こしは信用ならない。本物の音声を聞くべきだ」という人がいるので、引用しておく。筆者は、こっちの方が質が悪いんじゃないだろうか、と思う。


 あと、その後の議論についていくつか思うところを。

1 マスコミうざい論
 麻生の発言はマスコミ批判であり、憲法改正を静かに議論したいだけなんだ、という説。これは、筆者が当初書いたとおり、麻生の言う「マスコミ」は、実際はマスコミが火のないところに煙を立てている話ではなく、国民世論あってのことだ。麻生が「喧噪」「狂騒」と批判する対象をマスコミ報道に矮小化するのは納得できないし、現に、この間の国民的な議論で自民党の改憲草案や96条改憲の提案がボコボコに批判され、参院選争点にできなかった(し切れなかった)、という社会的な事実を踏まえていない。エントリでも紹介した靖国問題についても、問題の本質を捉えられない。
 典型的にはこのブログか。狐の国「麻生の憲法発言を捏造したマスコミ」

2 青字カテゴリー、赤字カテゴリー逆転論
 本人の弁解も「私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかである。ただし、この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい。」なのでこの説に近い。すなわち、「あの手口学んだらどうか」を反語だと捉えたり、「あの手口に引っかかってはいけない」と解釈する見解。筆者の分類で言えば、問題の箇所を青字から赤字にそっくり置き換えてしまうわけだ。しかし、この説の難点は、本人の弁解も含め、音声からも、文字からも、「見える人にしか見えない」難しい解釈と言うことだろう。
 本人のコメントはこちら。
 「反語」説は極東ブログ「「ナチス憲法」を引き合いにした麻生太郎副総理発言について」
 「あの手口学んだらどうか」に解釈を加えるのは蘭月のせいじけーざい研究室。「麻生「ナチスに学べ」発言を、初心者向けに徹底分析してみる。」
 なお、この説を補強する理由として「手口」という言葉を良い意味で使わない、というのがある。しかし、麻生は自分が肯定的に評価している自民党内部の改憲議論について「べちゃべちゃ、べちゃべちゃ」と、普通はあまり肯定的に使わない表現で評している。麻生は一種露悪的なところがある人だし、あまり意味のある議論ではないと思う。
 あと、この類型の説も、麻生が国民世論を無視する意味での「静かな」議論をしたいと言っていることについてはどう考えているのだろうか。

3 話し言葉から厳密な意味を解釈しようとするのが無理、という論
 はてブのコメント欄なんかにいくつか見える。しかし、麻生の発言は首尾一貫しているし、実は、政治家はこの二項対立の技法を多用する。小泉の「郵政民営化に賛成か、反対か」はその最も徹底された例だろう。話す方も話しやすいし、聞く方も分かりやすいのだ。大体、財務大臣の話し言葉について「意味を解釈するのは無理」などと言ってしまうと、我々はそういう人間を国家間で財政問題を話し合う重要な会議に我が国の代表として送り出し、日々、訳の分からない発言をさせていることになってしまう。

4 ブラックジョーク説、お笑い説
 ジョークでもダメでしょ。お仕舞い。
 お笑い説は、麻生がボケたという事なんだろうけど。そういえば、某映画監督(僕はお笑い芸人にしか見えないが)が、イタリアの映画祭で「また一緒に戦争やろうぜ」とギャグのつもりで言ったこともあったな。破滅的につまらないので却下。座布団の代わりに議席剥奪もの。

5 議事録全部公開したら良いと思う
 最後に感想。他の誰かも言っていたが、櫻井よしこ研究所(という名前ではないが名前忘れた)は、問題の日のディスカッションの議事録と録画を全部公開したらどうだろうか。きっと目くるめく世界が広がっていて(これが皮肉的な反語)、擁護論の一部にあるように、麻生の発言は、会議の中ではむしろブレーキ役である可能性もあると思う。まあ、しないと思うけど。
posted by ナベテル at 19:58| Comment(285) | TrackBack(1) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする