2009年12月17日

布川事件再審開始おめでとう!

 最高裁判所が布川事件の再審の開始決定をした。
 事件の概要は「守る会」のホームページを参照して欲しい。僕も桜井さん、杉山さんの話を伺ったことがあるが、本当におめでとう!と言いたい。長年にわたって執念の弁護活動を続けた弁護団にも心から敬意を表したい。

 僕がこの件で印象に残っているのは弁護団長の柴田弁護士が言っていた「桜井さんと杉山さんは仲が悪い(そりが合わない)。この二人が一緒になって殺人をやるなんて考えられない」という言葉だ。桜井さんも杉山さんも若い頃に田舎の町でチンピラ(失礼!)のような存在だったから警察にありもしない嫌疑を掛けられたのだが、実は二人は仲が悪く、大した知り合いでもなかったのだという。警察の捜査は初期段階から見当違いな思い込みに基づいていたのだろう。

 話がずれたが、刑事訴訟法では再審の要件について以下のように規定している。
刑事訴訟法
第四百三十五条  再審の請求は、左の場合において、有罪の言渡をした確定判決に対して、その言渡を受けた者の利益のために、これをすることができる。
〜省略〜
六  有罪の言渡を受けた者に対して無罪若しくは免訴を言い渡し、刑の言渡を受けた者に対して刑の免除を言い渡し、又は原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠をあらたに発見したとき。
〜省略〜

 再審を開始するということは、もともとの有罪判決を言い渡した際の証拠が揺らいで意味のないものになっているということだ。再審公判では二人に対して無罪が言い渡される可能性が極めて高い。

 許せないのは検察の態度だ。朝日新聞2009年12月16日の35面の記事を引用すると「検察幹部の一人は「一からの裁判になる」と述べ、再審の場で争う可能性を示した。足利事件の再審では、有罪の決め手となったDNA型鑑定の結果が覆ったため検察側は無罪を争わない方針だ。だが布川事件について、この幹部は「かつて自白は『証拠の王』と言われた。今でも強力な証拠で、それを得ようと努力するのは当然のこと。再審ではその内容の信用性が争点になるだろう。」と話した。」とのことだ。二人の人生を台無しにした責任などみじんも感じない態度をとり続けている。このような態度は再審公判において厳しく糾弾されるべきだ。

 最近明らかになっている数々のえん罪事件を見れば、警察の誘導によって虚偽の自白を得ることはそれほど難しくないことは周知の事実になっている。裁判所は正面から認めようとはしないが、裁判員裁判の導入を契機として自白調書に偏重した調書裁判を止めようとしている。その中で、検察庁だけが旧態依然の態度を貫いているのである。検察庁は自分たちの誤りを素直に認め、自白調書偏重主義を卒業すべきだ。

 そして、この件で僕がもう一つ指摘したいのは、裁判所が様々な変化を起こしている大きな動機になっているのが裁判員裁判の導入だということだ。裁判所は、国民の目から見れば、従前の自分たちのやり方が通用しないことを理解しているのだ。だからこそ、裁判員裁判の導入に前後して、今までの裁判所なら考えられなかったような無罪判決や再審決定を連発しているのだ。裁判員制度に反対する人達は裁判員制度のプラスの要素を余り語らないけど、この点はよくよく注目すべきだと思う。
posted by ナベテル at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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