2010年03月24日

雇用流動化肯定論に欠けた人権の視点

雇用の流動化の議論が花盛り
 僕がブログでものを書き始めたのは最近の話だが、ネット上で人気のあるブログを見ていると、正規雇用者の「既得権益」打破、不効率な産業の淘汰、労働者のスキルアップ、ワークシェアリングなど、色々な立場から雇用の流動化を肯定する議論が多くなされている。正直、ここまで雇用の流動化の肯定論が花盛りとは思ってなくて、自分の認識の立ち後れにびっくりした。

 雇用の流動化といっても、内容は様々で、主なものでも派遣労働の拡充、「個人請負」の増大、正社員についての解雇権濫用法理の緩和等がある。このうち「個人請負」の問題はまた他の機会に書くことにして、今日は派遣労働の拡充や正社員の解雇権濫用法理緩和=正社員の非正規化の陰で見落とされている基本的な問題をいくつか考えたい。

日本の労働法制の基本は労使自治の精神

 日本の労働法制の一番の基本になるのは他ならぬ労働基準法だが、例えば休日については月4日が最低基準だし、有給休暇も6ヶ月以上みっちり働いて10日、6年以上みっちり働いても最大で20日の有休しかもらえない。残業時間の制限も法律には書かれてない。賃金は最低賃金法で定められているが、例えば京都府では729円しかない。労災については労災保険法で定められているが、これについても被った損害の全てが保証されるわけではない。まともな職場であるほど、諸法令が定める最低基準よりも高い基準で働くことになる。
 こういう法定された基準以上の労働環境を労働者と使用者の交渉(とくに労働組合との団体交渉)によって決めていく原則を「労使自治の原則」という。そして、日本の労働法制法は職場の最低基準だけ定めておいて、あとは労使自治が機能すれば落ち着くべきところに落ち着いていくだろう、という制度設計になっている。

非正規労働者は労使自治に参画できない(しづらい)
 しかし、使用者と労働者の関係は生産手段を「持てる者」と「持たざる者」の関係であり、放っておくと使用者が圧倒的優位になるのが歴史の教訓だ。そこで、労使自治が機能するためには、大前提として、労働者が労働者としての権利(団結権、団体交渉、団体行動)を行使しても不利益を被らないことが必要だ。そのための法律が労働組合法であり、この法律は実は労働基準法よりも先に作られている。
 しかし、期間社員や派遣労働者は、@日本の主流派の労働組合が企業内・正社員組合化してて非正規社員が組織の対象になってない、A「雇用の流動化」の裏返しとして働きつづける権利が脆弱だから職場で労組に加入しても組合差別以外の理由を付けて簡単に辞めさせられてしまう、B@の裏返しで、退職後も加入したままでいるメリットのある産業別組合がない、などの理由で、労働組合に加入できない場合が多いから、労働者としての権利を行使できない例がほとんどになる。それは結局、非正規労働者が労使自治に参画できていないことを意味する。

無権利状態におかれた非正規労働者の現状
 労使自治に参加できなければ、産業革命以降の歴史が示すように、労働条件は使用者のかなり一方的な方針で決まっていくことになる(もちろん例外はあるが)。僕は労働事件をやっている弁護士だから、非正規労働者の人の現状もそれなりに見聞きしているが、そこから見えてくるものは無権利状態そのものだ。2008年の年末に話題になった「派遣切り」「雇い止め」は典型例だ。期間途中に派遣先と派遣元の契約が解除され、いきなり路頭に迷う例もあった。グッドウィルで話題になった「データ装備費」名目でのピンハネもあった。最近でも、労災を徹底的に隠されて「自己責任」にされてしまったり、残業代を払って貰えなかったりする。あまりに長時間労働なのに残業代がつかないから最低賃金を割ってしまう例もある。法定の有給休暇を取得すると契約更新されないので休んだことがない。こんな例はいくらでもある。奴隷のように酷使され、「壊れ」たら捨てられる。不必要になったら捨てられる。これが日本の非正規労働の現場なのだ。


流動化の議論をするなら流動化した労働者の保護の議論も

 雇用の流動化についても言いたいことは沢山あるのだが、それを脇に置くとして、この議論をする人は最低でも今の日本の非正規労働者がおかれている残酷な状況をどうするべきかについても言及すべきだろう。そこまで考えた議論をしなければ、非人間的な奴隷的労働を肯定する議論になってしまう。そういう議論は根本的なところで説得力を欠いたものにならざるを得ないと思うのだ。
posted by ナベテル at 21:44| Comment(4) | TrackBack(1) | 労働問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>僕は労働事件をやっている弁護士だから、非正規労働者の人の現状もそれなりに見聞きしているが、そこから見えてくるものは無権利状態そのものだ。

そりゃ、弁護士のところに相談に行くのは不満を持っている人だけだからね。労働弁護士のところに来る人が仮に全員権利を侵害されている人だとしても、それが労働者全体の何%なのかは統計を取らないとわからないでしょ。

それに、労働側弁護士から見れば権利侵害でも、冷静に考えれば自己責任のケースもたくさんあるでしょ。たとえば能力がなくて解雇されるのは自己責任ですよ。経営側にも経営の自由があるんだから。経営者の自由を縛る今の労働法こそ経営者の権利侵害です。

派遣切りなんてもともと期間限定契約だから当たり前でしょ。2008年末の派遣切りはほとんどの場合、当たり前のことです。
Posted by とおりがかり at 2010年05月07日 08:28
>とおりがかりこと「波」さん
能力が無くて解雇されるのは一概に自己責任とは言えませんよ。とくに使用者が勝手に「能力無し」とレッテルを貼る例は解雇無効になる事がよくあります。
Posted by ナベテル at 2010年05月07日 22:55
>解雇無効になる事がよくあります。
弁護士さんってここで思考停止していいから幸せな職業だよね。意味わかるかな?分かんないだろうね。
Posted by at 2010年05月09日 14:58
>ななしさん
思考停止してません。
Posted by ナベテル at 2010年05月09日 17:57
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