2010年03月27日

「個人請負」者を保護する制度が必要だ(1)

 前回のエントリ「雇用流動化肯定論に欠けた人権の視点」では今はやりの雇用流動化の議論に人権という観点が不足している、ということを指摘した。

 この雇用流動化の一つの形態として「注目」されているのが個人請負による方法だ。今まで労働者が行っていた仕事を「外注」にして、今まで通り職場で勤務する「個人請負事業主」に業務委託(請負)してしまおう、という発想。
 まず問題になるのは「労働(雇用)契約」と「業務委託(請負)契約」の違いだ。法律の専門じゃない人は少し意外に思うかもしれないが両者の違いは民法に規定されている。
民法
(雇用)
第六百二十三条  雇用は、当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約することによって、その効力を生ずる。

(請負)
第六百三十二条  請負は、当事者の一方がある仕事を完成することを約し、相手方がその仕事の結果に対してその報酬を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。

 報酬の対価が「労働に従事」することであるのが労働(雇用)契約で、報酬の対価が「仕事を完成すること」であるのが請負契約なのだ。報酬の対価が「指揮命令に基づいて稼働する」ことそのものか「自律的に稼働した結果の成果」の違いとも言える。典型的には、住宅の建築を大工さんに依頼した場合、施主と棟梁の関係は請負。棟梁と部下の大工さんの関係は労働になる(もっとも建築現場では棟梁と大工の関係が偽装「請負」になってたりするのだが)。
 そして、ある人と人の関係が「労働契約」であると判断されると、働く人=労働者には労働基準法、労働契約法、最低賃金法、労災保険法(ただし個人事業主も一定の場合加入可)等の保護が自動的に与えられ、労働組合法に基づく団結権、団体交渉権、団体行動権も与えられる(この権利が労働者の権利実現のためにきわめて重要であることは前回のエントリで述べた)。使用者には労働者の使用について「安全配慮義務」が発生し、例えば労働者を酷使して過労死すれば損害賠償義務を負うことになる。業務委託の場合、これらの保護が自動的に与えられることはないし、ほとんどの場合は保護の外に置かれてしまう。

 先程、棟梁と大工さんの例のところでちょっと書いたことだが、使用者の側は常に脱法を考え、自分が使用する人が「労働者」ではない、と言い張ろうとしてきた。それがとてもいびつかつ現代的な形で現れたのがゼンショー(「なか卯」や「すき屋」を展開する会社)の事件だろう。
個人請負という名の過酷な”偽装雇用”(1)
東洋経済電子版08/02/14 | 06:59

「『アルバイト』と称する者らの業務実態を精査した結果、『アルバイト』の業務遂行状況は、およそ労働契約と評価することはできないことが判明した」「会社とアルバイトとの関係は、労働契約関係ではなく、請負契約に類似する業務委託契約である」――。つまり「すき家」のアルバイトは会社に雇用されているのではなく、個人事業主として業務委託契約を結んだ個人請負だというのだ。
 
 06年に「すき家」渋谷道玄坂店のアルバイトが不当解雇を訴え組合に駆け込んだことで、同社の残業代の割増分の不払いが判明した。解雇は撤回され、ゼンショーは彼らに謝罪。過去2年分の割増賃金も支払われたが、その後、組合に加入した仙台泉店のアルバイトに対する支払いは拒絶。組合との団体交渉も拒否するようになった。組合が救済申し立てを行った東京都労働委員会の審理の場に提出されたのが、上記の主張である。

 少し補足すると、残業代の支払い義務は労働基準法によって発生する。厨房に入って牛丼を作る人たちが個人事業主であれば、労働基準法が適用されないから、ゼンショーは残業代を払わなくてよいことになるわけだ。ゼンショーがこういうことを言い始めた2年前くらい前、僕は「んなバカな」と一笑に付したが、ゼンショーはいまだにこの主張を楯にとって訴訟を続けているらしい(「労働法と社会保険の部屋」さん参照)。そして、リーマンショック後の不況を経て2年経ってみると、これがゼンショーだけの「バカな」発想ではなかったことが分かってきた。
働くナビ:正社員から個人請負契約に切り替えられる例が増えています。
毎日新聞

 これまで企業が雇用契約を結んで社員に任せてきた仕事を個人請負契約や委任契約にするケースが増え、トラブルが続出している。

 大卒で信販系の会社に就職し、事務を担当していた東京都内の女性(24)は就職の約1年後、会社から「仕事も十分覚えたので、個人請負契約に切り替える」と言われた。「みんなそうしている。収入も増える」と言うので了承した。仕事や働き方は以前と同じで収入は1割増えた。

 だが、給与支払いの内訳を見て驚いた。雇用保険や年金、健康保険などの欄がなくなっていた。会社は「個人事業主なんだから全部自分持ち」。女性は「収入増なんて、社会保険料を払ったらマイナス。正社員で就職したのに、解雇されたようなもの」と唇をかんだ。

 僕が見聞きした例では、ヤクルトを販売する人たちは「個人事業主」だし、オフィス用のパソコン等の組み立ての会社で仕事を覚えた社員が「個人事業主」になる新聞記事も読んだことがある。保険の外交員でもそういう例があるらしい。

 今、不況下でこういう「個人請負」「業務委託」による「流動化」した「弾力的な」労働形態がどんどん広がっているのが日本の現状なのだろう。もちろん、これらの事例の多くは、裁判になれば単なる労働者でしかない実態が明らかになるから、使用者側が敗訴することも多いだろう。ゼンショーの事件もゼンショーの主張が裁判所で認められるとはとうてい思えない。
 しかし、一方で、ゼンショーの例を見ても分かるように、残業代を請求するだけで2年以上も闘わないといけないようでは労働者は疲弊してしまうから実際には立ち上がれない人が多い(そういう意味でゼンショーの非道を告発した方々には敬意を表する)。泣き寝入りせざるを得なくなるのだ。僕が法律相談を受けた事例でも、そういう結果的な泣き寝入りは沢山ある。そして、泣き寝入りの傾向は、本当に保護が必要な弱い立場の人ほど強まるのが実態だ。
 そういう「泣き寝入りの強制」という意味も含めて労働法制の規制を回避できるというメリットがある限り、こういう労働形態は今後も広がっていく(使用者によって強制されていく)と思われる。こういう人たちをどうやって保護していくか、あるいは保護は必要ないのかが次の課題になるわけだが、あまりに長くなってきたのでその辺の検討は次回にしよう。
posted by ナベテル at 14:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 労働問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ヤクルトで働く人についてだけど、姉が「ヤクルトレディ」をやっている。正社員。
話を聞くとパートでやってる人が多いらしい。パートといっても「1本売ったら取り分が○○円」という具合らしいので「パート」と呼ぶのかは知らないけど。

残業代云々問題については、社会に出て働くときに誰も自分の権利について教えてはくれないし、人を雇用する経営者に対し遵法精神を植えつけられない、というのが問題じゃないかと。

司法は人の権利についてとても時間をかけて審議しているが(一般人から見てとても長くかかる裁判のこと)、それ以前に与えられている権利についてしっかりと周知する義務がある気がする。
警察の「被害が出ないと動けない」とにた構図を司法にも見える気がする。
Posted by あきもちょ at 2010年03月31日 16:27
>あきもちょ
そのパートの人たちは「個人事業主」の形で働いていて、どんなに働いても残業代は出ない仕組みになっている可能性がある。
権利の周知は労基署とか学校教育の仕事かなと思うが、そんなことしたら「権利ばかり主張する」人が増えるからやらないんじゃないの?
Posted by ナベテル at 2010年03月31日 16:43
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