序で書いたように、モアイは部族の先祖であり、部族の守り神だ。やがて、部族間で競って大型のものを作るようになった。島で最大の遺跡はアフ・トンガリキというが、ここにはカメラに収まりきらないくらい大きいモアイが15体もある。大きいものは15mくらいあり、写真はいずれも遠くから望遠レンズで撮ったもの。
あまりの迫力に見ほれてしまう。きっと、この地を治めていたのは大きな部族だったに違いない。ちなみに、ここの遺跡を修復したのは日本のクレーン会社であるタダノだ。バブル期とはいえ、よくやったもんだ。今の日本では考えられない酔狂な社長さんに乾杯。写真を取り忘れたが、モアイの脇にはプカオも脇に置いてあった。一体だけプカオを被っているモアイは、タダノのクレーンの操作方法を教わった現地住民がおもしろがって修復したものらしい。
モアイ製作工場
島中にあるモアイの多くが製作されていたのが、ラノ・ララクという火山。ここには作りかけのモアイや完成品のモアイが沢山あって、日本人がイメージするイースター島のイメージに最も近いところだ。後期のモアイが多く、比較的スマートな作りで、かつ、巨大なものが多い。
中には面白いモアイもあって、依頼した部族の長の首が曲がっていたためにモアイも首をかしげることになったと伝えられるものや、イースター島が他のポリネシアの文化の延長線にあることを想わせる正座したモアイもある。
モアイは岩山から切り出すので製作途中のものは岩の中にある。一番大きい作りかけのモアイは22メートルもあるらしい。
モアイは先に正面を作製され、石から切り出されると、背中が平らな状態になっている。これを地面に立てて背中が整形された。
主な作業場は噴火口の外側にあるが、噴火口の内側には比較的赤っぽいモアイを作っていた場所もあった。
ちなみに、モアイの上に載っているプカオ(これは帽子ではなくちょんまげを表しているらしい)はプナ・パウという赤い石を産出する別の火山で作られていた。
次回は、モアイ文化の崩壊について。
関連記事
イースター島モアイ見た記・序(間違いだらけのモアイ観)
イースター島モアイ見た記・破(伝説の王・ホトゥマトゥア)
イースター島モアイ見た記・急(巨大化するモアイとモアイ工場)
イースター島モアイ見た記・急の急(モアイ文化の崩壊)
ラベル:イースター島 モアイ