2010年06月11日

イースター島モアイ見た記・急の急(モアイ文化の崩壊)

やがて来た資源枯渇とモアイ文化の崩壊
 モアイの製作、輸送には大量の木材を使う。モアイが巨大化したことで資源消費は拡大した。また、繁栄により増えた人口も大量のエネルギーを消費した。木が伐採し尽くされたイースター島では、やがて人口を維持できなくなった。さらに、西洋人がイースター島に来るようになった18世紀には、部族間ないし階級間でモアイ倒し戦争というものが起き、部族の先祖であり、守り神であるモアイ像は敵対する部族によって倒され、力を発するモアイの目は砕かれてしまった。
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アフ・ハンガ・テエの倒れたモアイ



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アフ・アカハンガの倒れたモアイ


 イースター島の博物館には、唯一見つかったモアイの目の現物が保存されている。砕かれる前のモアイの目はこういう切れ長の形をしていたんですな。
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モアイの目


 アフ・ハンガのモアイ周辺には住居跡の洞穴や住居の基礎部分の跡も残っていて、モアイが部族の要であったことが感じ取れる。ちなみに、モアイの近くに住んでいたのは支配層のハナウ・エイベ族で、被支配層のハナウ・モモコ族はもっと内陸の方に押しやられていたそうだ。モアイは前者が後者に命じて作らせていたもので、モアイ倒し戦争は、被支配層のハナウ・モモコ族が支配層のハナウ・エイベ族を滅亡させた側面を持っているらしい。
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住居跡の洞穴


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住居の基礎部分


ポスト・モアイの鳥人間信仰
 モアイ倒し戦争の後、モアイ信仰は廃れ、新たな鳥人間信仰が生まれた。鳥人間信仰のもと、1年に1度、島全体の王を選ぶ儀式を行ったのがオロンゴ儀式村というところ。オロンゴ儀式村はラノ・カウ山という火山の上にある。
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ラノ・カウ山


 各部族の代表者が離島まで鳥の卵を取りに行き、卵を持って最初に帰った部族の長が島の王になったんだそうだ。
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オロンゴ儀式村


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たまごを取りに行った島


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鳥人間の神・マケマケ


 マケマケを見ると、笑い飯の鳥人ネタを想起せざるを得ない自分がいる。鳥肌と人肌の境目はどこにあるのだろう・・・

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posted by ナベテル at 23:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。

モアイやピラミッドなど、昔のひとは、大変な手間ひまをかけて、作ったのでしょうね。

私は学生ではありませんが、去年地元の武藤議員の発言等に危機を感じ、

憲法の本を何冊か読み、弁護士の方に問い合わせて確認し、
立憲主義を駅前に立って、道行く人に説明しました。

駅前行動には、ご家族連れや、杖をついて来られているおばあちゃんなど、幅広い層が、若い子のスピーチを
見守っていました。

渡辺先生が、書いておられることに共感し、拝見していると、罵声の様なコメントがあり、ショックを受けました。
そんな人ばかりが読んでいるのではないということを、お伝えしたいと思います。

渡辺先生はじめ、憲法を学んでこられた方々の知識が、
私のような一般市民には何より心強いのです。

教育勅語や八紘一宇などが平然と国会で出る。
こんなことは、海外に行って、とても話せない。
恥ずかしい状況だと思っています。
Posted by 森島 at 2017年03月10日 21:03
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