憲法とは何か
現行の日本国憲法は言うまでも無く憲法である訳だが、ここで言う「憲法」には歴史的に鍛え上げられてきた概念がある。それを余すことなく説明する能力は筆者には無いが、学生の頃、ゼミで教授が口酸っぱく言っていた言葉がこれである。
フランス人権宣言国家に対する国民の権利保障が確保され、国民の権利を侵害する国家権力の分立(これによって人権侵害の元凶である国家権力自体を弱体化する)が定められていなければ、憲法という名前を名乗っていても、日本国憲法も含まれるフランス人権宣言以来の「憲法」には含まれない、ということなのだ。
第16条(権利の保障と権力分立)
権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない。
皆さん、学校で勉強したと思うが、日本国憲法の三大柱は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」であり、三権分立もしっかり規定しているから、フランス人権宣言以来の立憲主義の思想を正統に受け継いだ「憲法」であることは疑いがない。
産経新聞の「国民の憲法」の特徴
産経新聞が自分でまとめ画像を作っているので引用しよう。
見ての通りだが、産経新聞の「国民の憲法」の12個の特徴に国民の国家に対する権利は何も記載されていない。日本国憲法の三大柱と比べて貰えば、産経新聞の発想がいかにフランス人権宣言以来の立憲主義の考え方から外れているかが分かるだろう。
人権規定もひどい
これに対しては「改正点の特徴を示しただけで人権はちゃんと書いてある!」という反論が予想されるので、人権規定の総則的な部分だけ検討しておく。
第18条(基本的人権の制限) PDFだがリンクはこちらこれは「国民の憲法」の人権規定の二番目に登場する重要な条文なのだが、それが「基本的人権の制限」というのはいかにも振るっているではないか。これでは明治憲法が定めた「法律の範囲」での人権と何も変わらない。明治憲法は「外形的立憲主義」とも言われ、フランス革命以来の「憲法」とは似て非なるまがい物なのだが、法律でいくらでも制限できる“人権”がフランス人権宣言で言うところの人権とは相容れないまがい物であることは言うまでも無い。
権利は義務を伴う。国民は互いに権利及び自由を尊重し、これを濫用してはならない。
2 自由及び権利の行使については、国の安全、公共の利益または公の秩序の維持のため、法律で規制することができる。
なお、「権利は義務が伴う」というのは、権利を行使する国民に対して、国家がそれを受け入れる義務を有している、ということなら正しいが、国民が行使する権利そのものにコバンザメのように義務がくっついているという意味なら、全くの誤りである。
まとめ
産経新聞の「国民の憲法」なるものが、フランス革命以来の「憲法」から外れたものであり、日本国民の人権を『蟹工船』や、小学館の『まんが日本の歴史』に出てくる「弁士中止!」の時代に逆行させるものであることはご理解頂けたと思う。
今、国会では国民の参政権を侵害している定数是正が遅々として進まず、自民党が出してきた衆議院の「0増5減」なるものは提案の時点で最高裁の判決に違反していることはすでに周知の事実である。産経新聞は、こんな落書きレベルの憲法草案を提案するくらいだったら、目の前で現に権力者(国会議員)が行っている憲法違反を是正するための選挙制度か区割りの方法でも提案したらどうかと思うが、「憲法、憲法」と声高に叫びながら、目の前の憲法違反を放置して、こういういかがわしい落書きを提示するところに、産経新聞の産経新聞たる憲法観がよく見えると思うのだ。
本気で思ってるのでしたら自分たちだけで軍事政権を作ってくださいな。
自民党も産経新聞もこのエントリーの最初のコメントの人も、どうして憲法を勉強せずに、自信満々で憲法を語れるのか不思議ですね。
おまけに勉強しない子の方が多数派を占めているように思えるので、この国の行く末をわりと本気で心配しています。
うーん。
考えていると暗い気分に……。
北朝鮮にとって理想の国民ですなw
「話し合って決めた折衷的な改憲案」ってのが
「改憲派」間の話し合いで出て来たとしても
この手の
「基本的人権を国益を理由に制限しうる」
「権利に義務が伴う」
式の物言いは絶対に残るって事ですね
カエサルのものはカエサルへ。単なる「ルール決め」の話に宗教的情熱や浮世離れした理想主義はおよびでない
産経はさいきんマトモにみえてる人もいるかもしれないが、「朝日と逆のことを書く」が社是らしいので右傾してるっぽく見えてるだけ。
わたしたちがすべきことは、新聞やテレビが早く滅亡するよう、それらに対して、興味をもたない、気にかけない、読まない見ない、を徹底すべきでしょう。
こんなものを自信満々で発表して恥ずかしくないんですかね。
欽定憲法と民定憲法の違いも、芦部や宮澤の存在も知らない。
全く無責任な改正論者なのです。
まやかしですから、勅令のような憲法が生まれてもなんら不思議ではありません
この世にできることは全てできることです
どのような残虐なことであっても、自然権を否定する憲法であっても
日本国民(の多数)も勅令のような憲法。より全体主義的な国家を望んでいるようように思えます。21世紀の日本は反動の時代なのでしょう
自分が生きている間に経験したくはありませんでしたが覚悟を決めるしかないです
弁護士全体のレベルが問われるような恣意的な選択による印象操作。
「法の支配」の原則に照らして、自民案、産経案にいろいろ疑問を持つ者ですが、議論の最低限のルールを守らないようでは、不毛な言い合いにしかならないでしょう。
それから、ドイツ、アメリカの憲法への言及も期待したいところですね。
「消費税率20%くらいは必要」と喧伝しておいて10%で通す、みたいな。
その程度には利巧なので、無知蒙昧な愚民大衆が騙されそうな手を次々出してきますよ。
共産党では、書記長を選挙では選んでおらず、中国や旧ソ連のように密室で選ばれているようですが、共産党は近代民主主義の原則は、やはり、否定しているのでしょうか。
また、共産党が目指すのは、「法の支配」を認めない、イデオロギーが法の上に位置する国家なのでしょうか。
ここまで近代憲法の歴史、成り立ちを無視したイカレ具合は海外の極右でもそうそう例がない。これが全国紙から出されて大して問題にもされないのだから、中国や北朝鮮を笑えねえ。
憲法ってのは、「自分の気に入らない思想、人を排除し弾圧する法律」じゃねーっつの。
http://www.tranzas.ne.jp/~smikio/kenpou.html
このURLを読めば、いかに日本人が幼稚かが分かります。
国民がいなくなったその時点で国家なんてものは消滅するのに。
逆に、民族は国家がなくたって存在出来る。
憲法とは国民を守る国家のためにあることをお忘れなく!!
憲法とは国民を守る国家のためにあることをお忘れなく!!
ハイエクの方が、よほど整っているし、芦部氏の其れは弟子の長谷部恭男によって明確に否定されているのですが。
因みに、私の憲法観はこれ。
「憲法とは、国の歴史を踏まえた国体を成文化した法規範であり、それに反するものは憲法ではない。」
別にルソーの「直接民主制至上主義」タイプの社会契約論をとっているわけではありませんよ。
もちろん、自然法に依存しすぎていて、長谷部弟子に批判されているのは誰も非てしていないでしょう。
ハイエク自体も、「法実証主義」の立場をとっていません。ですから、「自制的秩序」なるものが、自然法と同じ観念論的との批判をまぬがれません。
>「憲法とは、国の歴史を踏まえた国体を成文化した法規範であり、それに反するものは憲法ではない。」
「国」ってなに??
誰が「国の歴史」を規定するの??
もしかりに「国の歴史を踏まえた国体」なるものが存在したとしても、「起草者の単なる思い込み」を成文化しただけってことはないの???
成文化する「起草者も人間」であることには、変わりないのでは??
もしかりに「国の歴史を踏まえた国体」なるものが存在したとしても、いつそれが「確定」したのですか????
結局この種のネット右翼の主張って、ケルゼン流の「根本規範」を主張しているだけにすぎません。
純然たる自然法論と同じくらい「カビの生えた」主張ですね。
緊急時の人権の制限は国際人権規約にも明記されてることだから全く問題ないし、この国を守っていく上である程度の人権の制限はよいと思う。中国とかの属国になるぐらいなら必死にこの国を守った方が良いしね
そして、「国の歴史」は歴史となる内容が起きた以降にそれを知る人々によってそれが伝えられて、その内容がその国内の誰もが知る一般的内容となったときにその内容が歴史となっていくものと考えられます。
よって、ある国家権力が嘘の歴史を規定したとしても、その嘘の歴史は何れ歴史では無くなる可能性が高まります。(かってのソ連や将来の北朝鮮の歴史がそうでしょう)
ですから憲法の起草者は嘘の歴史を憲法草案にしては決してならず、この嘘の歴史は長続きせず、歴史はその歴史が続いている年月が古ければ古いほど、正当性があるとされております。
そして、そのことを知っている人間が憲法の起草者となることで、その人間が起草した憲法はその人間の単なる思い込みによって作られた憲法とは成りにくく、国家の歴史・伝統を十分に知る人間によって憲法草案が規定されるべきであります。
その意味で、産経新聞の作った憲法草案は我が国の歴史・伝統文化にある程度則った明治憲法を全く無視して作成されている為、検討の余地など全くありません。