残業代ゼロと騒ぐマスコミと左派知識人 大半の労働者には無関係な話
(2014年5月13日 夕刊フジ)
政府が「残業代ゼロ」を検討しているとマスコミで報道されている。きちんとした制度名としては、「ホワイトカラー・エグゼンプション」といい、いわゆるホワイトカラー労働者に対して、労働時間の上限週40時間などの規制の適用除外とする制度だ。
その場合、「残業」という概念自体がなくなるので、「残業代ゼロ」というのは正しい表現ではない。
日本では制度としては未導入であるが、欧米ではこうした労働規制の適用除外がある。正確にいえば、日本でもホワイトカラーエグゼンプションに類するものはなくはないが、はっきりしない部分が多く、使い勝手が悪いのだ。
欧米の場合、労働者のうち適用除外対象者の占める割合は、アメリカで2割、フランスで1割、ドイツで2%程度といわれている。
日本でいま適用対象として検討されているのは、年収1000万円以上の労働者と、労組との間で指定された労働者だ。後者の範囲はわからないが、前者の条件である年収1000万円以上との均衡がとられるはずだ。
前者の割合について、国税庁による2012年の民間給与実態統計調査結果をみると、3・8%しかいない。しかも、この数字は、会社役員をも含むので、労働者に対する割合はもっと低くなるだろう。となると、日本での労働時間規制の適用除外対象者の割合は、ドイツ並みだろう。
多くの人が「残業代ゼロ」とのメッセージに、自分も対象者だと勘違いして、批判しているようだ。この種の世論調査はあまりないが、そうした反応が多いのはある意味当然だ。しかし、設問の中に「あなたは適用除外の対象者ですか」を入れたら、95%以上の人が対象者ではないと答えるはずで、世論調査にはなり得ないだろう。
また、対象ではないことを知りつつも、現在自分の置かれている境遇において、十分な残業代が支払われていないと思っている人が多く、それへの不満のはけ口として、反対の意見を言うこともあるようだ。
「残業代ゼロ」とのマスコミのネーミングで、正しく問題を認識できない人が多いのだ。ホワイトカラーエグゼンプションが導入されず現状維持となっても、対象にならない労働者の残業代が改善されるわけでないのだが。
ちなみに「残業代ゼロ」の代わりに、「年収1000万円以上の人の残業代に対し所得税課税100%」といえば、反対する人もいなくなるだろう。それでも心配なら、まず公務員で実施してから民間にも適用するとすればいい。
なお、「残業代ゼロ」を強調するのは、ある特定層に多いことに注目したい。一つは、年収1000万円以上の人が多く存在する大手マスコミや金融関係者だ。その人たちは、ホワイトカラーエグゼンプションが導入されると実際に損をする。
もう一つは、雇用政策で居場所を失った左派識者だ。金融緩和によって失業率が低下し賃金が上昇してしまったので、労働政策専門家としてはメンツ丸つぶれだ。それを少しでも挽回したいのだろう。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)
誰も「所定労働時間に対する賃金が1000万円」なんて言っていない
政府の「産業競争力会議」で、武田薬品工業社長の長谷川閑史が残業代ゼロ法案議論の口火を切ったことは先日ブログでも書いたが、その後、内閣府がマッチポンプ的な世論調査結果を公表し、産業競争力会議近辺では着実に議論が進んでいるようである。そのあたりは法政大学・上西充子教授の「残業や休日出勤は「評価に影響せず」は、ミスリーディングな報道」をご参照頂きたい。
高橋洋一は「年収1000万円」が国民の3.8%しかいないという。この3.8%という数字の根拠は国税庁による2012年の民間給与実態統計調査結果だというので国税庁のホームページの該当箇所を見ると、「給与」の定義について「各年における1年間の支給総額(給料・手当及び賞与の合計額をいい、給与所得控除前の収入金額である。)で、通勤手当等の非課税分は含まない。なお、役員の賞与には、企業会計上の役員賞与のほか、税法上役員の賞与と認められるものも含まれている。」とされている。サラリーマン的に言えば源泉徴収票の税引き前の総支給額(支払金額)の欄のことを言っているようだ。
しかし、日本ではサービス残業や、名ばかり管理職の制度による残業代の不払いが横行し、本来は賃金が1000万円を超えるはずの者が実際にはその金額が貰えていない可能性が高い。この「3.8%しかいない」というのがそもそもミスリーディングだろう。
産業競争力会議は所定労働時間に対する賃金が1000万円などとは言っていないのであり、何も但し書きがない以上、残業代もボーナスもすべて込みの金額で「年収1000万円」と言っているのである(長谷川閑史が産業競争力会議に提出した資料はこちら。PDFなので注意)。このやり方、どこかで見たことがないだろうか。そう、固定残業代で見かけの賃金を多く見せようとするワタミのやり方と同じなのである。ワタミの新卒賃金の分析については筆者が過去に書いた「離職率は高くないというワタミの新卒賃金を考える」をご参照を。
所定労働時間に対する賃金とボーナスで700万円程度でも十分に導入可能
現在の労働基準法を前提にして「年収10000万円」というのは、本当はどういう制度なのだろうか。下記の通り使用者側にそう不利でもない、いくつか仮定を置くと実は所定労働時間に対する年収+ボーナスで700万円程度の労働者である。実際に見てみよう。
仮定
月平均所定労働時間 173.8時間(年所定労働時間2085.6時間)
賞与 夏50万円、冬50万円 合計100万円
一月の法定時間外労働 60時間
一月の深夜早朝労働 10時間
一月の法定休日労働 8時間
残業時間について言えば、筆者が今まで担当した残業代の事件の中ではかなり緩い方だ。また、残業代を払わない制度なので、所定労働時間は労基法の上限ギリギリに設定した。
まずボーナスの年間100万円は残業代計算には入らない賃金ではないから控除すると900万円となる。これを12(ヶ月)で割ると75万円となり、なかなか高額のようにも見える。
一方、これに対応する労働時間はどうなるのか。173.8+60×1.25+10×0.25+8×1.35=262.1となり、すべて所定労働時間内の労働であると引き直せば262.1時間分の賃金だということになる。
そして75万円÷262.1=2862円(1円未満四捨五入)であり、これが残業代の基礎時給となる。これに月平均所定労働時間173.8時間を掛けると49万7416円となる。これが月平均の所定労働時間173.8時間に対する賃金であり、12ヶ月だと596万8992円である。これにボーナス100万円を足せば、696万8992円である。
所定労働時間を大企業並みの月平均160時間としても、ボーナスを年間150万円とすると745万円程度の数字が出てくる。
つまり、産業競争力会議のいう「年収1000万円」の本来の意味は、「ボーナス込みで、税引き前の総支給額が年収700万円〜750万円程度の人が月60時間の時間外残業、月10時間の深夜早朝勤務、月8時間の法定休日労働をした場合の賃金」ということなのである。
そして、一度、この制度が導入されれば、この「年収1000万円」という数字自体がどんどん下がっていくだろう。
そしてAタイプには触れないお約束
しかも、この記事をよく読むと、高橋は残業代ゼロ法案が適用される労働者が日本の労働者の3.8%だ、などと決して言っていない。もう一度、一番重要なところを引用しよう。「日本でいま適用対象として検討されているのは、年収1000万円以上の労働者と、労組との間で指定された労働者だ。後者の範囲はわからないが、前者の条件である年収1000万円以上との均衡がとられるはずだ。」。この「後者」は長谷川閑史の提案では「Aタイプ」と呼ばれるが、いや、高橋センセ、その「後者」の範囲が無定量に広がることが重大な問題の一つなんですよ。もともと、日本経団連が2005年に発表した「ホワイトカラーエグゼンプション導入に関する提言」(リンク先はPDFなので注意)では、年収400万円以上の者には残業代ゼロを導入できるようにしようとしていた。長谷川提案でも、Aタイプについては賃金額についての要件すらなく、労使合意で導入できることになっている。
まとめ
高橋はあれこれと言を左右にするが、結局、日本経団連が多くの労働者に対して残業代をゼロにする施策を推進しており、かつ、今回の長谷川閑史提案はそれを実現するものであることは論を俟たない。筆者はこの高橋という御仁をよく知らないので浴びせるべき罵声が思い浮かばないのだが、とりあえず、「嘘つき」と言っておこうと思う。