2015年09月29日

SEALDsの大いなる通過点

 安保法制(戦争法制)の法案可決後、ネット上では、なぜか反対運動を展開したSEALDsを非難する言論が盛り上がっている。
 一番人気を集めたのはこれだ。

「なんかSEALDs感じ悪いよね」の理由を考える ──中国や台湾の学生運動との比較から──


 この論考は、天安門事件等の学生運動の失敗例と、台湾での成功例を並べているが「出羽守」に陥っている感が否めず、また、SEALDsの運動の射程としてかなり早い時期から2016年の参院選が入っていたことを考えると、現在の到達点で台湾の学生運動とSEALDsを比べるのはフェアでないように思う。というか、台湾の学生運動は、国会(立法院)の物理的占拠もしており、その辺の運動のやり方としては60年安保の時の全学連のやり方に似ている面もあると思うのだが、今、日本でそんなやり方は支持されるのだろうか??
 最後のスローガンの比較も、チョイスが恣意的で適切な比較になっていように思える。筆者の思うところ、SEALDsのスローガンは「立憲主義って何だ?」「民主主義って何だ?」に集約される。筆者が唯一参加した9月17日の国会前の行動でも、これらのコールは繰り返されていた。SEALDsの運動は、日本の政治の歴史で言えば、今後の流れ次第では「憲政擁護運動」とも位置づけられる余地があり、単なる現状批判ではなく、十分に肯定的な要素を含んでいると思われる。

 もう一つ流行った論説として、ホリエモン(堀江貴文氏)のものがあるが、レッテル貼りをするものの、批判に内容がなく、実際はサイトへのアクセス数を増やしてアフィリエイト広告収入を増やしたいだけなんじゃないかとすら思える。
「ホリエモンが三度警鐘、今のSEALDsに感じる危険性」

 その前のホリエモンの論考では、「今回の安全保障法案は戦争法案ではない」「徴兵制に向かうものでもない」「積極的に戦争を仕掛けようというものではない」と言う。
 しかし、安保法制には、実際、従来の意味での「専守防衛」の範囲を遙かに超え、国外での「武力行使」「武器使用」をする場面が様々に出てくる訳で、これが「戦争法制」でなければ何が戦争法制なのか、と思ってしまう。ROE(Rule of Engagement)のことを「交戦規則」と言うのと同じように、安保法制を「戦争法制」というのは的を得たネーミングだと思われる。
 「徴兵制云々」は、SEALDsの主張にそのようなものが含まれているのか分からないが、わら人形論法のようにも思える。ただ、この間、与党の有力議員が徴兵制肯定論を繰り返し垂れ流しているのは事実であり、安保法制を推進しようとする勢力の中に、そういう論者が沢山いることを疑うのは、むしろ健全なのではないかと思う。我が国のネット上の徴兵制を巡る議論は、この議論の震源地が常に、徴兵制やそれに類似する制度を肯定する自民党議員の発言であるのに、徴兵制の実現に否定的な勢力が、それらの自民党議員を批判しない。それどころか、自民党議員に対して「奴らは危ない。危険だ。放っておくと本当に徴兵制になるぞ。」と批判する勢力に対して、「徴兵制とかないしwバカすw」とあざ笑っているように見える。これは、奇妙なねじれと言うほかない。ホリエモンを含め、徴兵制の実現を否定するのなら、それらしい発言をしている自民党議員を批判したらどうだろうか。
 「積極的に戦争を仕掛けようというものではない」というのも、SEALDsの主張を直接は知らないが、しかし、一方で、ホリエモン自身がアメリカの役割の「分担」を認めている以上、ホリエモンの立場からしても、アメリカの下請で戦争や武力行使や「武器使用」の事態に巻き込まれることは十分あり得るんだろう。そうであれば、SEALDsがそう言っているかは知らないのでそのことは別として、そのような法制をわざわざ作る作業を「積極的に戦争に参加しようとしている」と評するのは、決して的を外してないのではないかと思う。
「私がSEALDsをdisる理由」
http://weblog.horiemon.com/100blog/31497/

 さて、主題から大分、遠回りしたが、言いたいことは、ホリエモンの批判は、ホリエモンと同じ立場に立つ者には分かる類の批判で、必ずしも鋭いものになっていないし、どこまでSEALDsプロパーのものなのかも判然としない、ということである。

「SEALDs」の功績
 さて、見出しで「」をつけてみた。筆者の見るところ、ホリエモンの評論に代表される意見は、結局のところ、安保法制に対する反対世論の隆盛に対する批判を展開するために、その象徴としての「SEALDs」を叩いているのだ。様々な観点から批判している反対勢力の“不都合な点”を、SEALDsに押しつけている。これは、いくらなんでも酷いのではないだろうか。
 逆に、安保法制に反対する勢力も、SEALDsを祭り上げすぎなのかもしれない。この間、安保法制への反対闘争に加わった市民の裾野は、筆者の周囲を見ても、驚くほど広く、政治思想的には新左翼、左翼、社民主義・リベラル、保守までいたし、年齢層も実に幅広かった。日本の伝統仏教に属する宗教団体からも多くの反対決議が上がった。「学者の会」「立憲デモクラシーの会」など学者団体や、日弁連や単位弁護士会など、弁護士会が果たした役割も大きかった。安保法制への反対闘争は、このような裾野の広い国民各層の意識が作り出したもので、決してSEALDsだけが作り出したものではない。我々は、お互いの健闘を讃え、次につなげていくべきなのだと思う。このような事態を細かく把握しようとしない者にとってはそれが「SEALDs」となるように見えるのだ。
 だがしかし、筆者はそれでもなお、SEALDsへの賛辞を惜しまない。以下、いくつか述べる。ただ、この賛辞も、実際はSEALDsではなく「SEALDs」に対するものなのかもしれない。

1 原理・原則の大切さを振り返らせてくれた
 SEALDsの主張の根本は、上記のように「立憲主義擁護」「(立憲的)民主主義の擁護」であろう。筆者からすると、(冷静な)安保法制賛成派の議論をみていても、立憲主義の擁護に対する意識は低いといわざるを得ない。論者の中の相当数が「本来は憲法改正してやるべし」と平気で言うのだから。賛成派と反対派の根本的な違いの一つは、政府・与党が、憲法を、従来政府自身が繰り返し述べてきた解釈も、文理解釈も遙かに超えて「弾力的」(恣意的)に解釈・運用することの是非なのであり、言い換えれば、憲法改正を問わないままでの平和憲法の決定的な変容を是とするか否かなのである。政府の国会答弁を前提にしても、安保法制は「備えあれば憂い無し」の類であり、これを制定する差し迫った危険があるわけではないのだから、こう考えざるを得ないだろう。そして、筆者もそうであるが、反対派はこれを立憲主義の危機と捉えるのである。一方、安保法制を立憲主義の危機と捉えない立場からすれば、SEALDsの運動は最初から意味のないものに映るかもしれない。
 SEALDsは、この深い対立について、反対派を鼓舞するために「立憲主義って何だ?」の問いかけを最後まで止めなかった。もともと、欧米の立憲主義とか、民主主義とかいう概念は、日本の“世間の常識”からすると、非常に青臭いものだ。ともすれば、それらの崇高な理念を“世間の常識”で粉飾し、多数決民主主義という名の単なる多数決に陥りがちな年長の世代(それには政治家も含まれる)に対して、“世間の常識”に染まっていない若者たちが投げかけ続けた問いは、非常に鮮烈だったし、今後も、しばらくはその問いかけの効力が続くだろう。

2 国民各層を勇気づけた

 立憲主義にしろ、民主主義にしろ、平和主義にしろ、それらがどのように崇高な理念であっても、次世代の若者たちがその価値を認め、承継して行ってくれなければ、その価値は途端に色あせてしまう。逆に、若者たちがその価値を承継してくれることは、その前を走っていた世代にとってはこの上ない励ましになり、自らが歩んできた道の肯定ともなる。
 SEALDsの運動により、それより+15歳の筆者ですら、大いに励まされ、街頭で何度もハンドマイクを握って話をした(そして、自分が最早、若くない、という、薄々感じていた事実を再確認し、寂しい思いもした)。筆者より上、特に70年安保闘争前後の世代の喜びよう(または危機感)は、立場を超えてそれよりもっと凄かったであろう。すなわち、SEALDsの運動が「SEALDs」を生み出した側面は確実にあるのだ。筆者は、その結果生まれた安保法制に対する反対世論は、60年代安保の反対闘争よりも、裾野も、到達点も高いと感じる。
 筆者が「到達点が高い」と考える根拠の一つであるが、法案が成立した後も、運動目標があり、挫折感がない(少ない)こともなかなか凄い。これは、彼らの中で、参院選という次のターゲットが明確だからである。実際、各地のSEALDsは、民主党内が後述の「国民連合政府構想」でぎくしゃくしている間も、民・共を含む野党各党の要人を引っぱり出して、同じ席に座らせ、街頭演説をさせて、かつ、その場に、総理大臣の街宣でも集められないような多数の人を、特段の動員もなく集めている。法案成立後も、立派に政党とは一線を画する運動体としての役割を果たしているのである。
 法案成立後に「SEALDs」を揶揄し、法案成立阻止できなかったことをあげつらう言論は、最初からそういう運動に懐疑的だった層からのものが多いのではないかと思う。「期待したのに裏切られた」という議論は、あまり、聞かないのである。

3 従来の枠組みでは考えられない政治連合の構成を促した
 そして、SEALDsの運動によっても作り出された政治状況で何よりも凄いのは、共産党を含めた野党共闘の可能性が開けてきたことだろう。共産党が政治の中心から排除されている(反対側から見ると共産党の独善)のは、筆者の薄っぺらな教科書的知識の限りでは、1970年代の社共の「革新共闘」のあとの1982年の「社公合意」で決定的となった以来のことのように思える。SEALDsや「SEALDs」の運動は、この、33年にわたって解けなかったパズルを解きつつあるように見える。今、安倍政権は強権を振るっているが、これは、政権の支持層が薄いことの裏返しである。自民党の谷垣氏や、公明党の山口氏など、いまからこの野党共闘に戦々恐々であり、まだ何も実現してないのに牽制する発言をしている。小選挙区制の下では、僅かな票差によりシーソーゲームが起こる。そのことに、現実的な危機を感じているからだろう。

まとめ
 もちろん、野党共闘が実現するかどうかは分からない。しかし、それを実現させるのは、共産党の志位和夫委員長自身が「国民連合政府」の提案の際に述べたように、SEALDsや「SEALDs」の運動なのである。SEALDsや「SEALDs」の運動に対する一定の評価が定まるのは、これらの動きの行方が見えてきた後なのではないだろうか。筆者は、反・安保法制の運動や、立憲主義擁護運動について、その積極的な役割を認めず、途中経過で否定的な結論めいたものを出すのは、偏狭であり、まだまだ、早計に過ぎるのではないかと思っている。
posted by ナベテル at 14:03| Comment(13) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
40代の男性です。どこの政党も応援していませんが、安保法制可決に関して反対の立場です。極端に言えば、戦争したい人が、この論説で言えば、政府・与党の議員や「ホリエモン」等が戦場に行って大丈夫と保証すればいい話です。私は、憲法9条は世界の最先端を行くものと信じているので、戦争に行きたいとは思わないし、自分より年下の世代(例えば20代等)には絶対に行ってはいけないと考えています。だから、今後の安保法制可決後の野党共闘の動きや「SEALDS」に注目していきたいと思います
Posted by 鬼塚 健 at 2015年09月29日 18:42
>的を得た
>的を得た
>的を得た
Posted by at 2015年09月30日 17:26
未だに9条があれば大丈夫なんてドヤ顔で言うなんて目眩がする。
ならなぜ日本の領土で不当な武力制圧された竹島やどさくさに不当な実効支配された北方領土を助けれ無いのですか?、なぜ素晴らしい9条が世界で採用されないのですか?

それを理論的に説明して欲しい、出来ますか?
Posted by at 2015年09月30日 17:55
私は「九条があれば大丈夫」なんて言ったことはなく、そんなことを言っている政治勢力は、現在の日本の主要政党の中には一つもない、という事実が大事なんじゃないでしょうか。
Posted by ナベテル(管理人) at 2015年09月30日 20:36
普段、コメント欄には余り書かないことにしてるんですが。

>まとをえた氏
作家の平野啓一郎さんにこういうのを教えて貰いましたわ。誤用ではない。
http://biff1902.way-nifty.com/biff/2014/05/post-8ee7.html
Posted by ナベテル(管理人) at 2015年10月01日 10:08
自分はアメリカに守ってもらうけど、アメリカを助ける事はしない。
そりゃ同盟でつるめば、面倒ごとに巻き込まれることもあるでしょう。
でもそれが同盟って事でしょ?

日本は地理的、経済的に恵まれてるから同盟を組まずに、一人で生きて行くという選択もあるだろうけど
同盟に甘えるより遥かに大変な負担になる。それこそ徴兵制だ
Posted by at 2015年10月01日 10:25
そうじゃない同盟が日米安保な訳で。米軍はその見返りとして、世界一安い駐留費で済んでいる。在日米軍って、別に、日本を守るためにいるんじゃないですよ。その証拠に、ベトナム戦争も、湾岸戦争も、イラク戦争も、アフガン戦争も、みんな米軍が日本から出撃している。
別に、甘えてなんかないんですわ。
Posted by ナベテル(管理人) at 2015年10月01日 10:53
バーカ
Posted by バーカ at 2015年10月01日 10:54
社公合意は1980年です。取り急ぎ。
Posted by 通りすがり at 2015年10月01日 16:55
*1
>戦争したい人

目的達成のための交渉(外交の延長)が戦争ですよ、お馬鹿さん

交渉しないのなら、全裸になってワン鳴いて欲しい。
Posted by at 2015年10月01日 19:07
ナベテルさん達いわゆる左翼の人って国防を真剣に考えてないよね。
憲法9条を守ろうとか、集団的自衛権の行使に反対とか。

日本の領海やEEZが戦後少しずつ隣国に奪われてるのに何の対抗手段もとらないなんて、日本を守る気ありますか?

東南アジアの海を中国が侵略してるが、ナベテルさんは見て見ぬふりなんですよね?
あそこは日本の大事なシーレーンなんですが。

集団的自衛権の行使できなければ、アメリカは日本を全力で守りませんよ?
アメリカ人は「日本はアメリカを守らないのに何でアメリカは日本を守らなきゃならないんだ」って思ってます。トランプ候補が訴えてましたね。アメリカの全力の加勢が無ければ日本は中国・ロシアに対抗できません。


すると尖閣諸島は盗られるし北方領土は帰ってきません。共産党の志位委員長は千島列島は全て日本領と主張してますが、それを取り戻す方法を示せてません。現実を見ず理想を語る左翼の典型です。

ナベテルさんは頭いいんでしょうから、そろそろ日本の国民の命・主権・領土を守るにはアメリカとの同盟の強化、すなわち集団的自衛権の行使が必要だと悟って頂きたいですね。

ちなみにSEALDsという左翼若者オカルト9条信者教団は戦争反対と叫びながら何故か急激な軍拡を続ける中国の在日大使館前では決してデモを行いません。彼らは日本政府でなく中国政府の味方なのです。そんなに中国が好きなら中国人に帰化して移住した方がいいですよね。ただし中国では政府批判のデモなんかしたら逮捕・拷問され下手すればチベット人のように撲殺されます。
Posted by 国防を軽視しないでね at 2015年10月15日 03:54
ナチスや軍国主義の反省から第二次世界大戦の反省から平和憲法の決定的な変容せず立憲主義.民主主義.平和主義を継承してゆくことに希望を感じました。
戦前の反省から戦争しない交戦しない軍を持たないという近代立憲主義を作った1人1人の基本的人権が尊重される戦争や軍や武器の無い殺し合いのない世界を作りたい青臭い理想が戦後70年の平和を作ったのですよね。
平和の鐘を100年といわず未来永劫のものとしたい。
その平和憲法の理想を世界に普及したいものである。
イラクでは武器を溶かして平和の鐘が作られたりしてます。
主権も民主主義も代表者が持つのではなく市民1人1人が持つ。
アメリカ・中国ロシアと争うよりも領有権等を棚上げしシェアリングエコノミーで困っている難民移民等を救済したりお互いの文化を共有して友好を深める方がよっぽど価値がある。
自衛権容認派の人は争うことを重視しているがそういう社会は限界に来てるのですよね。
善意の循環それが必要とされている。
戦争・交戦・抑止力・軍事力・強制力等人を殺すには人類の外交は進歩がない。
中国の共産主義の人権侵害も問題だがアメリカの93%が戦争経済という資本主義を崩壊させる必要がある。資本主義アメリカと社会主義キューバは歴史的和解できたのです。
資本主義アメリカと共産主義中国ロシアが和解することは可能である。
非核非戦非武装非暴力の共同体を世界中に作ってゆきましょう。
コスタリカの積極的中立ような難民移民貧困等で苦しむ人の避難所となることで非武装中立となり軍や武器を持たないことによる信頼を活かした仲裁外交に徹することで内戦を終わらせた平和外交は日本に求められている役割である多くまさに本来あるべき積極的平和主義の形であると思う。日本は刀狩りで市民が武器の持たない社会を実現した国である。
戦争放棄交戦権放棄環境を保護し善意を贈り合い循環させてゆきましょう。
後1つYahooでも2chでもそうだがまだコメント欄で消耗しているのって話に私は共感していたのにコメント欄で消耗してしまった。
Posted by 名無し at 2015年10月28日 15:17
貴方の言ってることは本当にトンチンカンですね。日本の弁護士って左派が多く感じますけど、頭の中にお花畑が詰まっているのでしょうね。こんなのが弁護士になれる日本社会に恐怖を感じます。あなた方が仰る平和憲法でが国は守れません。国防について一から勉強してください。理想を言うのは簡単ですが、現実を見ることを放棄してはいけませんよ。
Posted by 半兵衛 at 2016年05月22日 02:51
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