金融やITでも個人請負
僕はこういう状況が広がっているのは比較的ニッチな分野だけだと思ってたら、高度な知識を要求される金融やITの分野でも「個人請負」が広がっていることが分かった。
Joe's Labo
個人請負は今後、主流なワークスタイルの一つになる
以前から金融業などでは、高度な専門性を持つ人間などを契約社員や嘱託といった非正規雇用で処遇
していた(正社員の賃金制度には収まりきらないため)。
IT系のベンチャーなどでは能力のある人ほどそういった個人請負方式で働いている傾向があって、
複数社の名刺を使っている人もいる。
ホワイトカラーからブルーカラーまで、どんな分野でも「個人請負」が広がっているのが日本の状況なのだ。
「個人請負」の野放しは違法行為、脱法行為を激増させる
上のブログ主の意見もそうだけど、今「個人請負」をはじめとする雇用の流動化に賛成する人の意見は規制緩和によって生じる「負け組」のケアを考慮に入れていないものが多い。
個人請負について何らかの規制をしない場合、個人事業主は契約条項をしっかり作り自己責任で自分を保護すべき、ということになると思われるが、契約条項で身を守れるのは競合他者に比べて高い能力を持っていて、ユーザー企業に対して強気の交渉をできる人だけだ。しかし、競争原理から言えば、そういう人は少数派。多数の人は「そういう面倒なことを言うなら他にお願いしますわ」と言われるのがオチだ。
また、前回述べたゼンショーの例のように、今後は、実態は労働者なのに「個人請負」を偽装することで使用者の責任を回避しようとするケースも激増するだろう。責任逃れのパターンは無数にあると思われるが、典型的なのは「買いたたき」と使用者としての安全配慮義務の回避だと思われる。
「個人事業主」は買いたたかれる
「買いたたき」の事例として今、僕が注目しているのがビクターサービスエンジニアリング事件の事件。これはビクター製の音響機器の修理等をやっている「個人代行店」たちが、修理工事単価の切り下げに対抗するために労働組合を結成して会社に対して団体交渉を申し入れたところ、労働組合法上の「労働者」に該当しないとして団体交渉を拒否された事例だ。組合が団体交渉に応じるよう提訴し、中央労働委員会では勝利したが、東京地裁では、「個人代行店」たちは労働組合法上の労働者ではない、という判決が出て敗訴。現在は控訴中だ。判決を読みたい人は中央労働委員会のホームページを参照して欲しい。このエントリとの関係では蛇足だが、従前の判例ではこういう人達は労働組合法上の労働者性(≒団結権等の労働三権)は問題なく認められていた。
この判決の法的な評価は横に置くとして、この「個人事業主」たちはビクターに雇われている労働者たちと全く同じ仕事をしていて、かなり拘束の厳しい契約でビクター以外の仕事をするのが難しい状況なのに(判決では逆に他の仕事も「何ら制限されていない」と机上の空論を認定されている)、「請負」単価を切り下げられた事情がある。今の世の中、転職だって容易ではないし、転職するための職業訓練も受ける場所がなければ、その間の生活保障だってない。単価が切り下げられていく事態を打開するために思い切って労働組合を結成したのに、その手も封じられたら、最後に行き着く先は生活破綻しかなくなる。
しかし、この例に限らず、こういう「個人事業主」たちが、発注元の一方的な単価切り下げによって仕事を続けられなくなって、住宅ローンも払えなくなり、自己破産の末に生活保護になるのが望ましい社会のあり方なのだろうか。経済全体から見てもはなはだ疑問だ。
「個人事業主」が過労死しても企業は責任を取らない
もう一つ指摘したいのは安全配慮義務の問題だ。典型的には過労死の問題と言っても良いかもしれない。今、日本の職場では、働き過ぎで死んだり、働き過ぎの末にうつ病になって自殺する人が相当数いる。労働者が過労死した場合、大半は使用者が仕事をさせすぎの事例なので、使用者には「安全配慮義務」違反の損害賠償義務が生じる(念のため言うが損害を賠償すれば事足りる、と考えているわけではない。過労死は撲滅されなければならない)。過労「死」まで行かなくても、従業員が過労で倒れた場合は企業にも責任が生じる。
しかし、労働者が「個人事業主」に置き換えられた場合、使用者にそのような義務が生じるかははなはだ疑問だ。「個人事業主は自分のペースで仕事をできるんだから倒れても自己責任だ」という反論は当然あるだろうが、日本の職場はそういう自己責任で割り切れる仕組みにはなっていない。むしろ、個人責任で割り切れないチームワークの業務態勢を「強み」にして市場から信頼を得て、経済大国になったのが戦後の日本なのではないのか。もちろん、この「強み」が万能でなくなっている現状はあるが、そのモデルを根本から崩すのは「強み」を捨て去ることでもある。部分的な変化はあっても、日本の社会が全体としてこういうモデルを捨て去るとは、僕には到底思えない。そうなれば、多くの「個人事業主」たちは、強気の交渉ができない状況で、ますます過重な労働を押しつけられ、倒れても、過労死に追い込まれても「自己責任」で片付けられてしまうだろう。仕事を押しつけて倒れても責任を取らなくていいなら、企業はその方向に「インセンティブ」があることにもなる。こういう構造はまさに致命的な欠陥がある。
「個人請負」「個人事業主」に保護が必要だ
前々エントリ「雇用流動化肯定論に欠けた人権の視点」で書いたことにつながるが、どんな新しい枠組みを構築するにしても、働く人たちが人間らしく生活できる状況を確保できなければ奴隷労働やのたれ死にを肯定する議論になってしまうし、本来、そのような制度は健全な国家の制度としては機能しない。
前も述べたように、今後「多様な労働形態」の一つとして個人請負という形が広がっていくことは避けられない。そうであれば、実態は労働者なのに「個人事業主」と偽って脱法することを厳しく規制し、さらに根本的には「個人事業主」の最低賃金の定め、契約解除事由の制限、職場の安全衛生の整備、団結権の保証、労災保険等の整備、年金等の社会保障の適用、仕事がなくなったときのセイフティーネット等を含め「個人事業主」を保護するための法制の整備は不可欠だろう。これは、労働者保護のためだけではなく、「個人事業主」によるワークスタイルを健全に普及させるためにも決定的な要素になると思われる。実際、ヨーロッパではそういう試みもなされているようだ。
くどいようだが、社会の制度は強者のためだけにあるのではない。敗れた敗者がのたれ死にせず、再起できるようにする制度設計は絶対に必要だ。
追記