2010年02月13日

陸佐の処分甘すぎる

 日米共同訓練の場で、事もあろうか自国の“最高司令官”を批判した自衛官の処分が内規に基づく注意処分だったそうだ。
陸自連隊長は注意処分 日米同盟関係発言問題
2010年2月12日20時55分

 陸上自衛隊の第44普通科連隊長中沢剛1等陸佐が日米共同訓練の開始式で「同盟関係は『信頼してくれ』などという言葉で維持されるものではない」と発言したことについて、北沢俊美防衛相は12日の閣議後会見で「現場の指揮官が政治や外交という高度な国家意思に言及している。その規律の問題をシビリアンコントロール(文民統制)の観点から整理する必要がある」と述べ、発言は不適切だったとの認識を示した。

 北沢防衛相は同日、中沢1佐を内規に基づく注意処分とした。中沢1佐の発言が、政治や外交を軽視しているととられかねないと判断した。

 朝日の記事だけではこの「注意処分」の意味が分からない。毎日新聞にはもうちょっと書いてある。
陸自連隊長発言:防衛省が文書で注意処分
毎日新聞 2010年2月12日 21時41分

 「同盟というものは『信頼してくれ』などという言葉だけで維持されるものではない」と発言した、陸上自衛隊の中沢剛連隊長(1等陸佐)について防衛省は12日、文書による注意処分にしたと発表した。注意は自衛隊法に基づく懲戒には当たらない。

 中沢連隊長は第6師団第44普通科連隊所属。10日に宮城県の陸自王城寺原演習場で行われた、米陸軍との共同訓練の開始式訓示で発言した。

 処分の理由を防衛省は「政治や外交を軽視し、首相発言を非難していると誤解を招く発言で、幹部自衛官としてふさわしくない」と説明。中沢連隊長は「結果として誤解を招く発言をして申し訳ありません。厳粛に処分を受け止めます」と述べたという。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題を巡り、鳩山由紀夫首相は昨年11月の日米首脳会談で、オバマ米大統領に「私を信じてほしい」と伝えていた。【仙石恭】

 要するに、文書で注意しただけで公務員としての懲戒処分はしていない、ということらしい。

 しかし、この結末は甘すぎるのではないか。日本は軍部の暴走で軍国主義に走っていった歴史を持っている。軍人の増長にはよほど警戒しないとならないはずだ。しかも、今回は内輪の会議とか自衛隊内の場での発言ではない。「宗主国」たるアメリカ軍の軍人の前で、自衛隊員が自国の“最高司令官”を批判して「宗主国」に迎合する発言をしたのだ。こんな売国的な行為は決して許されない。鳩山政権の姿勢がどうとかいう問題ではない。

 今からでも遅くない、厳重に処分すべきだ。タモガミもまともに処分できず、こういう好き勝手な政治発言をする者も処分できないようでは、「文民統制」などあってないようなものになってしまう。
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2010年02月10日

在特会を名乗る集団が京都弁護士会に来たらしい

 僕は直接見ていないのだが、今日の昼頃に、在特会を名乗る人達数人が京都弁護士会の前に押しかけてきて何やら騒いでいったらしい。京都弁護士会は1月19日付で「朝鮮学校に対する嫌がらせに関する会長声明」を出している。もし、実際に来たのが在特会の人達であれば、それに対する抗議の可能性もある。ただ、在特会のホームページには行動告知は出ていなかった。
 京都弁護士会のすぐ隣は、京都地方裁判所で、弁護士会の路地をはさんだ向かいは御所南小学校。自分で見ていないので何とも言えないが、こういう場所で大声で騒いでいったとすれば、それはそれで問題だと思う。
posted by ナベテル at 13:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月09日

亀井静香に罵詈雑言:夫婦別姓に反対するお大臣

 亀井静香が夫婦別姓について不見識なことを吠えまくっている。
亀井金融相:夫婦別姓など2法案に反対
毎日新聞 2010年2月8日 11時46分

 国民新党代表の亀井静香金融・郵政担当相は7日、広島県尾道市での会合であいさつし、政府が今国会への提出を目指している永住外国人への地方選挙権付与法案と、選択的夫婦別姓制度を導入する民法改正案の二つの法案の国会提出に反対する考えを表明した。

 亀井氏は「国民新党が反対する限り、この二つ(の法案)とも絶対に成立しない。私が『ノー』と言えば法案として国会に提出できない」と述べた。夫婦別姓制度については「去年から殺人事件の半分は親子兄弟夫婦(間)の殺しになった。助け合って信じあって生きていく家庭は崩壊しつつある。そういう時に夫婦の名前を別々にするのがあるべき姿なのか」と語った。

 僕は戸籍上は相方の姓になっている。どっちかの姓にしなければならないから、相談して、やむなくそうしたのだ。mixiにも書いた話だが、長年慣れ親しんだ姓が戸籍から無くなってしまう喪失感は言葉では表しがたい。また、社会上の姓と戸籍上の姓のまたさきにも苦しめられ続ける。

 だいたい、親子兄弟夫婦(間)の殺し合いと夫婦別姓に何の関係があるのだ。うちは社会的には夫婦別姓だが、亀井静香の発言はうちは殺人者集団になりかねんばかりの言い分だ。同居してたって名前が違う家族なんて、サザエさんを持ち出すまでもなく山ほどある。僕だって子供の頃、母方の祖母と同居していて祖母だけ姓が違ったが「家族じゃない」なんて思ったことはない。今だって家族生活を頑張ってるんだ。一国の大臣にこんな失礼なことは言われたくない。

 この前、mixiの夫婦別姓反対のコミュニティで少しお話をした。この制度に反対する人にも色んな想いがあることは分かったし、僕とは違って自分が望む、望まないにかかわらず「家」というものを背負わされている人がいることも知った。しかし、国民全体のことを考えるべき政治家がド阿呆丸出しで、別姓の選択の自由すら奪おうとしていると「このバカ亀が。あんたの貧困な発想で俺を不幸にするな」と言いたくなったりはしないですよ。ええ。エライ先生にド阿呆とかバカ亀とか言っちゃいけません。

 ただ、この亀井静香の発言がもの凄く不見識で、レベルが低く、品のない、貧困な発想に基づくものは確かなので、亀井静香の発言に傷ついた全ての人を勝手に代理して、亀井静香に対してブログ上で罵詈雑言を投げかけてみた。

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2010年02月07日

京都にオリックス水族館は不要

 京都市には梅小路公園というのがあって、昔は国鉄のヤードがあったらしいのだが、今は市立の公園になっている。電車好きの人には隣接地に梅小路蒸気機関車館があることでも有名だ。

 今、この梅小路公園にオリックス不動産が水族館を作る計画を立てている。早ければ今年の7月にも建設を始めようとしているようだ。地元民としては、何で海のない京都市に水族館を作らなければならないのか全く分からないのだが、何か派手なことをやっては自分の手柄にするのが大好きな門川大作市長はこの計画に乗り気のようだ。

 この計画でオリックスが何を考えているのか、正確なことは分からないんだけど、水族館だけではあまり利益を生まないだろうから、回りを色々と開発して、客寄せパンダならぬ客寄せイルカを飼う施設を作りたいのが本音ではないか、と3月号の『ネットワーク京都』の特集記事にもうちょっと上品な言葉で書いてある。実際、オリックスもイルカショーを施設の目玉にすることを隠していない。

 この施設を作ることで地元はどんな恩恵を受けられるのか。2000円はかかると言われる入場料を取って子供のための学習施設なんて面をできるのか。海のない京都市でイルカさんを商売道具にしたら、シーシェパードがウディ・ギル号で押しかけるのではないか。そもそも海の学習は海に行ってすべきではないのか・・・など疑問はつきない。しかし、僕が一番疑問なのは、失敗したときにどうするのか、ということだ。はっきり言って、こんな施設が永続的に流行るとは思えない。最初の数年は上手くいくかもしれないが、いずれはポシャるだろう。そのとき、誰がオリックスの尻ぬぐいをするのか、ということだ。オリックスは小泉政権にちゃっかり取り入って「構造改革」という名の縁故主義でぼろもうけしたのは有名な話だが、そういうオリックスが失敗したときに自分で全部赤字をかぶるとは思えないのだが。うまい汁だけ吸ったら、とっとと逃げていくのではないか。

 一京都市民として声を大にして言いたいのだが、こんな計画は絶対に止めてください。門川市長!
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2010年01月22日

ツイッターは革命か?はしゃぎすぎ。

 昨日からツイッター始めた。何か期待しているわけではなく、やたら騒がれているので、とりあえず体験してみようと思ったのだ。今のところ、ブログと連動させると、ブログを更新したときに自分のつぶやき欄にタイトルとリンクを勝手に張ってくれるので、便利と言えば便利だが、それ以上の効用を見いだせていない。

 ツイッターについて「革命だ」などと騒ぐ議論を見たことがある。どこで見たのか忘れたが、例えばアマゾンで売られている『Twitter革命』というそのまんまの本の紹介欄を読むと
内容紹介
今、ツイッターの時代に何をするべきか?
もう、ただの「つぶやき」では終わらない。この、まったく新しいコミュニケーションツールの登場で、今、私たちのライフスタイルやビジネスに劇的な変化が起こりつつある。ユーザー一人ひとりがメディアになる時代、生き残る人、生き残る企業の条件を探る。


いま、もっとも注目を集めているコミュニケーションツール、それがツイッター。
140字のテキストを投稿するだけというシンプルなインターフェース、友達から有名人まであらゆる人と気軽につながりあえる仕組みが好評を博し、2009年に入って世界中でユーザーが激増している。
ジャーナリズムやアカデミズム、政治家、行政まで、ユーザーとの直截かつ即時的なつながりを求めて様々な形で利用されており、マーケティングなどへへの応用にも期待がかかる。

人と人をフラットにつなげ、行動を変えていくツイッターはもはや単なる「つぶやき」では終わらない。
この革命的コミュニケーションツールが今、変えようとしているものとは何か。

「世界でいちばん小さな放送局」として、ネット黎明期からインディペンデントな活動を続けてきたジャーナリストが、ツイッターが私たちのビジネススやコミュニケーションにもたらす劇的な「変化」の意味を説く。

と書いてある(下線強調は私)。僕はここに違和感を感じる。例えば「ブログというのが凄いらしい」と騒がれたときの内容って「簡単に情報発信できる」ということに集約されていた(と思う)。しかし、ツイッターの効用として説かれている「マーケティング」は、つぶやく人間とは別の人間がつぶやく人間の集団を観察した結果として様々な需要や世論の情報が量から質に転して、商売や政治に利用できる、というものなのだ。つまり、利用者と受益者が別の人だ、ということ。そういうことをいくら説いても、ツイッターの利用者は増えないし、利用者にはなんの革命も起きないのではないのか??

 イランの反政府デモのように、社会的な運動を構築するためにツイッターが使用できればそれに越したことはないが、あれはイラン政府がツイッターの存在を知らなかった、という初期の一過性の現象ではないのか。政府がツイッターを知れば、当然それを「マーケティング」して、デモをつぶしにかかる。今後もあの方法が有用とはとても思えない。

 まあ、最初から突き放すつもりはないし、自分なりの使い方を探ってみようと思うが「つぶやいても得するとは限らない。目的意識を持って他人のつぶやきを沢山集めると得する」というツイッターの特性の下で、ギブアンドテイクの関係が成り立っていくかがポイントのような気がする。
posted by ナベテル at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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