昔から、子ども向けの科学本には「世界の七不思議」みたいな感じでモアイのことが載っていたし、僕が大学生の頃には「Newton」にもモアイの謎に関する特集があった。僕はモアイとか「謎」とかが大好きで、その手の記事は目を通していたし、読むと実際に行ってみたくなる性分なので、子どもの頃から「いつかモアイを見る」のが夢の一つになっていた。ちなみに、その頃のイースター島のイメージというと
@イースター島は島中モアイだらけ
Aモアイが作られた理由は謎
B日本からめちゃくちゃ遠い
Cイースター島は無人島
Dイースター島は小さい
という感じで、このイメージって多くの日本人が持ってるイメージとそんなに違っていないのではなかろうか。
ところが、大人になって、自分の金で旅をし始めると、イースター島が候補地に上がることはなかった。イースター島は、実際、めちゃくちゃ遠いのだ。モアイ以外に何もなさそうなのも難点だった。ずっと縁がなかったのだが、今回は、ナンチャラ旅行という大義名分があって、どこか南の島に行く話になったとき、JTBのツアーでタヒチ島とセットになったプランを見つけた。この機会を逃したら、たぶん、いつ来るかも分からない定年後まで行けないのではなかろうか。渡りに船でそのプランに飛びついた。
旅行に行くことになり、久しぶりにイースター島のあれこれを見聞きすると、子どもの頃から仕入れていたイースター島の情報が結構、偏見に満ちたものであることに気づいた。結論から言うと、上に書いたイメージのうちB以外は全部事実と異なる。
@についてだが、モアイは村の「アフ」という祭壇の上に置かれていた。部族ごとに村を作っていたので、部族単位にモアイを持っていたことになる。だから、モアイはそこかしこにあるわけではなくて、かつて村があった場所の祭壇においてあるのが正解。実際はほとんどが倒されているので石塚の回りに転がっているのだが。
Aについては、僕の記憶が正しければ、子どもの頃に読んだ読み物にはすべて「作られた理由は謎」と書かれていた気がする。ところが、今回は「地球の歩き方」にすら理由が書かれていた。モアイは部族の守り神のようなもので、海を背に、村を見つめるように作られたらしい。目から先祖のパワーが出て村を守っていたのだとか。実際、アフの下からは人骨が沢山見つかっていて、お墓のような役割も果たしていたらしい。18世紀頃には部族間、あるいは階級間で抗争が起き、村が他の部族に占領されたときに守り神であるモアイは倒され、目は砕かれてしまった。多くのモアイが倒されている理由はそういうところにあるらしい。この25年ほどで研究が進んだのか、子どもがだまされていたのかは知らないが、この世の秘密を知ってしまった気分だ。
Cはという訳でイースター島にはかつて数万人の人口がいたらしいが、木を伐採しすぎたことによる資源枯渇、人口爆発などがおき、社会を維持できなくなって人が減り、さらに天然痘がはやったり、チリ領になってから奴隷狩りが行われたりとおきまりのコースでさらに衰退、一時は島民は100人まで減ったらしい。今は4000人くらいの人が住んでいるとのことだ。イースター島の無人島イメージは、日本人が見る写真のほとんどが荒野の中のモアイの図だからかもしれない。
Dについては、島民のほとんどは空港があるハンガロア村に住んでいて、モアイのほとんどは荒野の中にある。島の端から端まで、車で行くとたぶん4〜50分はかかるくらいの大きさがある。
今回は、イースター島を2泊3日で観光し、多数のモアイを堪能したわけだが、それは日本に帰ってからのお楽しみということで。
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ラベル:イースター島 モアイ