2010年10月05日

カンボジア旅行記2(バイヨン寺院)

 前回の投稿からすでに1ヶ月近く経っており、ブログが活用されていない状況に自分なりの焦りを感じております。まあ、マイペースで。 

 アンコールワットが建設されてから数十年後に王が変わってから建設されたのが、アンコールトムだ。ここは、なんと、仏教遺跡。数十年前のアンコールワットがヒンズー教の遺跡であることと比べると非常に面白い。
01アンコールトム入り口神様.jpg
アンコールトムの入り口にある観音様の像


 入り口の門の上には、日本人が勝手に描くカンボジアのイメージに出てくる、あれ。これ、実は、観音菩薩なんだそうだ。
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観音菩薩像


バイヨン寺院
 そして、アンコールトムのど真ん中にあるのがバイヨン寺院。ここはかなり面白かった。
03バイヨン遠景.jpg
バイヨン寺院遠景

 
 ここはアンコールワットと同じく、壁画が凄い。
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アプサラ(天女)の図

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バイヨンの壁画

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バイヨンの壁画2

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バイヨンの壁画3


 壁画の回廊を回ってから、建物の中心部に迫っていくと、顔、顔、顔。バイヨン寺院が仏教寺院になっているのは、当時の王様が、既得権益層であるヒンズー教指導者たちの力を削ごうとした政治的な側面があるのだそうです。
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バイヨン寺院の塔群

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これも観音菩薩像


 そして、世界中に写真が出回っている一番有名な観音像がこれ。
11一番有名な顔アップ.jpg
一番有名な観音菩薩像


 回廊は実はナーガ(蛇)の胴体をかたどっている。これはアンコールワットと全く一緒。ヒンズー教と仏教は境界が曖昧なのだ。
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回廊の屋根がナーガ


 そして、デバター(女神)像。ここのデバターはアンコールワットのより総じて出来がいいように思った。
12バイヨンのデバター.jpg

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 次回は、天空の城ラピュタのモデルになった?寺院とかの紹介。
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2010年09月13日

カンボジア旅行記1(アンコールワット)

 今年の夏休みはカンボジアのシェムリアップという街に行ってきた。シェムリアップはカンボジアの中では一番タイ寄りの街。昔から緊張が絶えなかったようで、シェムリアップという街の名前自体、「シェム」=「シャム」=タイを「リアップ」=「一掃する」という意味らしく、戦勝を祝して付けた名前なんだそうだ。
 この街に来たお目当ては、もちろん、アンコールワットを初めとする遺跡群。インドから日本まで流れる文化の一端が分かった気がして、とても面白い旅だった。最初は、大長編の旅行記を書こうとしたんだけど、とても書ききれないので、写真中心の旅行記でお茶を濁すことにした。

 この街に来たら、まず、アンコールワットを見るしかない。初日からいきなり見て、その後、もう一度見に行った。このお寺は仏像等を安置しながらも、まだ、ヒンドゥー教主体の寺院だ。
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参道

2参道(爆発痕).jpg
参道にある爆弾の痕

 内線の痕跡は世界遺産の中にまである。この国は、ちょっと前には、信じられないような大虐殺が平然と行われていた国なのだ。

3参道(上智頑張る).jpg

 アンコールワットを初めとする遺跡の修復に力を入れているのが、日本では全く影の薄い我が母校・上智大学だ。実際、アンコールワットの遺跡周辺では、上智大学は一番有名な日本の大学。僕についたカンボジア人ガイドさんは「上智大学の学生はみんな賢そうだけど、勉強ができる大学なのですか?」と日本語で聞いてきた。はったりも含めて「私立大学ではナンバースリー」と答えておいた。

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塔門をくぐって敷地内に入ったところ
5参道脇から中央塔など望む.jpg
ここが一番の撮影スポット


 中に入ると最初に見られるのが、「ラーマーヤナ」に出てくるラーマ率いるサル軍と悪の王ラーヴァナ率いる羅刹軍の戦いの図。ここの壁画は他のものと比べても本当に生き生きと描かれていて、カンボジア人が「ラーマーヤナ」をとても好きなことが伝わってくる。
6ラーマとラクシュマナ.jpg
主人公ラーマ(右)と弟のラクシュマナ(多分・・)
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ラーマ(上)と猿軍の将軍・ハヌマン
8ラーヴァナ.jpg
悪の王・ラーヴァナ


 右の方に行くほど、ラーヴァナ軍が劣勢になって、サル軍がどんどん勢いよくなっていく。ラーヴァナがのっている馬車の図なんかは、エジプトのファラオの戦車の図にも共通する構図だけど、何か関係あるのかしら(多分、ない)。

 アンコールワットにはデバター(女神)の図があっちこっちに描かれている。
9デバター.jpg
デバター


 アンコールワット自体、未完成の建物なので、失敗?したヌードっぽいデバターや、外枠が書いてあるだけのものもある。
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ヌードのデバター
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書きかけのデバター


 第一回廊の他の所に行くと、日本でもおなじみ、閻魔様によって地獄に突き落とされる図や、ヒンズー教の天地創造である「乳海撹拌」の図もある。乳海撹拌というのは、神と阿修羅がナーガという蛇を綱代わりに綱引きをして乳海を揺する、という感じのもの。乳海撹拌の図は残念ながら修理中で、一番いいところを見られなかった。
12閻魔様に地獄に落とされる図.jpg
閻魔様に地獄に落とされる図
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乳海撹拌図


 柱の彫刻も半端じゃないです。
14柱の彫刻.jpg
柱の彫刻


 歴史に記録が残っている限り、アンコールワットに来た初めての日本人は森本一房という平戸藩士。この人はアンコールワットを祇園精舎と勘違いして落書きを残していった(結構バチ当たりなヤツだ)。一房が書いた「祇園精舎図」というアンコールワットの絵図が水戸徳川家に今でも伝わっているそうだ。
15日本人落書き.jpg
森本一房の落書き(上から塗りつぶされている)


 回廊も、回っているだけで美しい。
16第一回廊外側.jpg
第一回廊外観
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第二回廊に上がる階段


 第三回廊に上がる階段はものすごく急。上に上がる人数が多すぎないように、下でコントロールされている。
18第三回廊に上がる階段.jpg
第三回廊に上がる階段
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第三回廊から入り口方面を望む


 そして、アンコールワットの中心にあるのが、中央塔。ここまで上るのは結構大変。そして、コウモリの糞のにおいがする。
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中央塔

 というわけで、建物の上の方に上るよりも、壁画が素晴らしいアンコールワットであった。次回は、アンコールトムとバイヨン寺院。
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2010年09月07日

社保庁職員の首を切った懲戒歴保有長官が大使に

 すでに旧聞に属するが、僕が夏休みで日本にいない間に、ザ・ラスト・社保庁長官の渡辺芳樹氏がスウェーデン大使に任命された。
失業の元社保庁長官、スウェーデン大使に 民間枠で採用
朝日新聞 2010年8月20日19時55分

 昨年末に厚生労働省を退職した渡辺芳樹・元社会保険庁長官(57)のスウェーデン大使就任が、20日の閣議で決まった。社会保険庁が解体された際に、天下りを原則認めない政府の方針で失業したが、民間枠で登用された。

 渡辺氏は、今年発足した日本年金機構の副理事長就任が有力視されていたが、懲戒処分歴を理由に長妻昭厚労相が「例外を認めない」と起用を見送った。スウェーデンは高福祉で知られ、渡辺氏は年金局長の経験などを買われたとみられる。

 閣議決定は全閣僚の署名が必要。長妻氏は20日の閣議後会見で「昨日聞いた。基本的には外務省の人事なので、淡々とサインした」と語った。

 この人の懲戒処分は業者から接待を受けていた関係のものと聞いている。

 僕は、この人がスウェーデン大使になったことについて異議はない。社保庁勤務の経歴を活かして、是非、日本とスウェーデンの架け橋になって頂きたい。まさか、10年以上前に業者から接待を受けた「自分自身の若さゆえの過ち」くらいで、大使としての資質が失われることはないだろう。
 でも、問題はある。懲戒歴のある職員がほぼ一律に首切りになったこととの不均衡だ。首を切られた職員が復職を求めて提訴したことについては7月24日に書いた「社会保険庁の分限免職問題で提訴した感想」を参照して欲しい。渡辺氏の眼差しは、首を切られた職員たちには全く向けられていないと言っていい。ザ・ラスト・サムライの渡辺謙は部下とともに突撃して運命をともにしたが、ザ・ラスト・社保庁長官の渡辺芳樹は2009年の年末に自らの名で525名の部下を「斬首」し、自分だけ生き残ったのだ。これは頂けない。彼は、大使になる前に、部下がちゃんと職を全うできるように全力を尽くすべきだったと思う。彼がスウェーデン大使になることについて本質的な問題がないのと同様、生まれる前からあった年金記録問題でバッシングされて首を切られた職員たちには、年金業務を行う上で何の欠格理由もないのだ。

 一方の長妻厚労大臣は口ではぶつぶつ言いながら渡辺氏の大使就任を承認していて、一般の職員に対する厳しい対応とは全く対照的だ。全く二枚舌としか言いようがない。この程度の御仁が日本の年金行政を預かり、日々、問題を深刻化させている状況を見るにつけ、腹立たしいやら、情けないやら、是非とも、訴訟で一泡吹かせたくなるのだ。
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2010年08月20日

NHKスペシャル『玉砕 隠された真実』感想

前振りとしての「ドキュメント太平洋戦争」
 僕は、子供の頃、弁護士にならないならNHKスペシャルの取材班になりたいと考えていた(なり方は最後まで調べなかったけど)。一週間のあらゆるテレビ番組の枠で一番好きなのが日曜午後9時からのNHKスペシャルの枠だったし、この枠で放送する番組はレベルが高いものが多く、ああいうものを製作する現場に関われたらいいなあ、と思ったのだ。特に、アジア太平洋戦争当時の日本軍部の無責任と非合理性を徹底的に追求した『ドキュメント 太平洋戦争』はNHKスペシャル史上でも不朽の名作だと思っている(Wikiに項目があったので概要を知りたい方はどうぞ)。ちなみにこのシリーズは角川文庫で『太平洋戦争 日本の敗因』という名前で書籍化もされていて、アマゾンでも買える。

「玉砕」の番組概要
 さて、最初から脱線しまくったが、今回の『玉砕』。概要は以下のような感じ。
2010年8月12日(木) 午後10時00分〜10時49分
総合テレビ 玉砕 隠された真実
「生きて虜囚の辱めを受けず」戦陣訓に則り、全将兵が死ぬまで戦う「玉砕」。
昭和18年5月、アリューシャン列島アッツ島における日本軍守備隊の「全滅」がその始まりとされる。
部隊の全滅を「玉砕」という言葉で大々的に発表した大本営。しかしそこには隠された意図があった・・・。
 アッツ島を境に「玉砕」は各地の戦場で頻発、戦死者は急激に増えていく。
更に、戦局が悪化すると、「玉砕」は大本営の報道によって「一億玉砕」として、一般国民に対しても広がり、最終的に310万人の犠牲者につながっていった。

 死を目的とする攻撃「玉砕」はなぜ引き起こされていったのか−。
番組では、アッツ島守備隊の「玉砕」をきっかけに、大本営が「全滅」を「玉砕」と美化し、国民にも「死」を求めていった過程を、新資料と証言をもとにつまびらかにする。

 内容はとても興味深かった。実は、日本軍が文字通り全滅した戦場はアッツ島が初めてではなく、1942年の12月〜1943年1月にかけて、パプアニューギニアのブナなどで、大本営による「棄軍」と部隊の全滅、という事態が発生していた。しかし、大本営は自らの責任を隠蔽し、部隊が「転進」したという嘘をついた。アッツ島の全滅はその後の1943年5月に起きたが、今後、部隊の全滅という事態が多く発生することが予想されたことから、大本営の責任を隠蔽するために「玉砕」を仕立て上げ、「生きて虜囚の辱めを受けず」と書かれた『戦陣訓』の精神を国民に浸透させる手段に使おうとした、というのだ。全滅を美化するため、大本営がアッツ島守備隊からきた救援要請を無視したにもかかわらず「アッツ島守備隊は救援を全く要請しなかった」という大嘘をメディアで垂れ流した。その後は各地の「玉砕」が美談として喧伝され、「転進」したはずのブナさえ後で「玉砕」と発表されたそうだ。
 番組の内容にすごみを持たせるのが、アッツ島守備隊の生存者の証言。何の補給もなく、弾薬すらないままにアメリカ軍の一方的な攻撃を受ける様子をリアルに証言していた。

こういう番組を作るのがNHKの使命だ
 今回の番組でも、日本軍が最初に「玉砕」したとされるアリューシャン列島のアッツ島(現在は原則立ち入り禁止)を、特別の許可を取って取材をしたり、アッツ島守備隊の日本将兵2600人中、わずか27人だけ生き残った方々の住所を突き止めて数人からインタビューを得ていた。当時は青年だった将兵たちも今は90歳手前。中には「こんな事をカメラの前で話すようになるなんて夢にも思わなかった」みたいなことを言う方もいて、あと5年遅かったら、貴重な証言はこの世に記録されないかもしれない。総じて、極めて価値の高い取材活動をしており、『ドキュメント 太平洋戦争』を彷彿とさせるモチベーションの高さに素直に「すげー」と思った。
 僕は、こういう質の高いドキュメンタリーを、視聴率とは関係なく作るのがNHKの使命だと思っている。最近のNHKの視聴率至上主義は目に余るものがあるので、原点に立ち返って、良質な番組を作って欲しいと思うのだ。
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2010年08月18日

阿久根・仙波副市長が組合差別をやる気

 阿久根市の副市長になった仙波敏郎さんが早くも暴走を始めている。竹原市長と気が合う時点で嫌な感じはしていたんだが・・・
3課職員、市職労から脱退を=仙波氏が求める−鹿児島県阿久根市
8月17日11時41分配信 時事通信

 鹿児島県阿久根市副市長に市長の専決処分により就任した仙波敏郎氏は17日までに、市総務課、企画調整課、財政課に所属する職員全員に、市職員労働組合からの脱退を求める方針を同市課長会で示した。竹原信一市長も同意しているという。
 市によると、これら3課には35人の職員がいる。仙波氏は「市組織の中枢部に職員労組の人がいるのは考えられない」と発言。さらに「職員労組の顔色をうかがい行政改革を断行できないのはおかしい」とした上で、「市職労を脱会しない人は課を異動してもらう」と述べたという。これに対し、自治労鹿児島県本部は「組合員であることを理由に不利益な取り扱いをすることを禁じた地方公務員法の規定に違反する」との見解を示している。

 これ、法律に違反して、だめでしょ。
 公務員の場合、労働組合のことを「職員団体」というが、職員団体に加入していることをもって他の職員と差別的に取り扱うと、56条の「不利益取り扱い禁止の原則」に反する。地公法には、民間労働者みたいな「不当労働行為」の救済措置がない。法律を無視した不利益取り扱いはあり得ないし、想定されていない。救済措置がないことと、差別が想定されていないことは裏表の関係だ。罰則がないのをいいことに、法律を破ることは、絶対にしてはいけないのだ。
地方公務員法
(職員団体)
第五十二条  この法律において「職員団体」とは、職員がその勤務条件の維持改善を図ることを目的として組織する団体又はその連合体をいう。
2  前項の「職員」とは、第五項に規定する職員以外の職員をいう。
3  職員は、職員団体を結成し、若しくは結成せず、又はこれに加入し、若しくは加入しないことができる。ただし、重要な行政上の決定を行う職員、重要な行政上の決定に参画する管理的地位にある職員、職員の任免に関して直接の権限を持つ監督的地位にある職員、職員の任免、分限、懲戒若しくは服務、職員の給与その他の勤務条件又は職員団体との関係についての当局の計画及び方針に関する機密の事項に接し、そのためにその職務上の義務と責任とが職員団体の構成員としての誠意と責任とに直接に抵触すると認められる監督的地位にある職員その他職員団体との関係において当局の立場に立つて遂行すべき職務を担当する職員(以下「管理職員等」という。)と管理職員等以外の職員とは、同一の職員団体を組織することができず、管理職員等と管理職員等以外の職員とが組織する団体は、この法律にいう「職員団体」ではない。
4  前項ただし書に規定する管理職員等の範囲は、人事委員会規則又は公平委員会規則で定める。
5  警察職員及び消防職員は、職員の勤務条件の維持改善を図ることを目的とし、かつ、地方公共団体の当局と交渉する団体を結成し、又はこれに加入してはならない。

(不利益取扱の禁止)
第五十六条  職員は、職員団体の構成員であること、職員団体を結成しようとしたこと、若しくはこれに加入しようとしたこと又は職員団体のために正当な行為をしたことの故をもつて不利益な取扱を受けることはない。

 仙波敏郎さんは、警察のヤミ金を暴いた勇気ある人として尊敬してたんだけど、それが、がらがらと崩れ始めている。無法を強行するようなら、市長と、副市長相手と市を相手に損害賠償請求をするべきだろう。
posted by ナベテル at 00:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 労働問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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