2010年08月16日

石原都知事が靖国神社でポケットに手を突っ込む「不敬」

 石原慎太郎東京都知事が8月16日に靖国神社を参拝した。
石原都知事「この国は駄目になる」 靖国神社参拝
8月16日7時55分配信 産経新聞
20100816靖国神社での石原都知事(産経新聞提供).jpg
参拝を終え到着殿前で報道陣の問いにこたえる石原慎太郎・東京都知事=
15日午後、東京都千代田区の靖国神社(矢島康弘撮影)
(写真:産経新聞)

 東京都の石原慎太郎知事は15日、靖国神社を参拝した。終戦の日の靖国神社参拝は、昨年は海外での公務に重なったため2年ぶりとなる。

 石原知事は参拝後、報道陣に対し、首相と全閣僚が靖国神社に参拝しない方針を示したことに「日本のことを考えないやつらのことを話しても仕方がない」とし、「この国はこのままでは駄目になる。100歳を過ぎたご老人の行方が知れないってどういうことだ。自分の親の弔いもしていない。本当に英霊も浮かばれない」と述べた。

 その後、石原知事は周囲にいた参拝客に「皆で頑張ろうな」と呼びかけた。

 僕は、靖国神社を神聖な場所とは思わないし、政治家が公式の肩書きで靖国神社に参拝すること自体、反対の立場だ。しかし、今日はそういう難しいことは言うまい。記事にある石原都知事の発言を前提にすれば、石原都知事は、靖国神社をちゃんと参拝して「英霊」たちを弔わなければ、「英霊」たちも浮かばれない、という立場に立っているはずだ。そういう石原都知事に一言。

自分が神聖だと思っている場所で
ポケットに手を突っ込むな。行儀悪い。


 僕は残念ながら8月15日に靖国神社に行ったことはないが、8月14日に行ったことならある。元兵士と思われるおじいさんたちの中は、日本軍の軍服を着て、当時の連隊旗とおぼしき旗を掲げながら、32番の大鳥居から行進してくる人たちもいた。あのおじいさんたちにとっては、靖国神社はそれだけ神聖な場所なのだろう。
靖国神社境内図.jpg
靖国神社の境内図:靖国神社HPより

 石原都知事がポケットに手を突っ込んでいたのは、記事によると、14番の到着殿の前。大鳥居どころか、第二鳥居よりさらに内側、特大の「菊の御紋」を二つも配する「厳か」な雰囲気を醸し出す神門よりさらに内側の場所だ。

 もう一度言うが、僕自身は、靖国神社を神聖なものとは思っていない。しかし、礼儀を知らない僕だって、さすがに自分の祖母の仏壇の前でポケットに手を突っ込むようなことはしない。さんざん「靖国」「英霊」を連発するこの御仁が全くの現行不一致で「英霊」に対する「不敬」を働いた上で、日本の将来を憂えるなんて、ちゃっちゃらおかしくて臍が湯を沸かす思いがする。あまりに馬鹿馬鹿しいし、この御仁が唱える「愛国」の薄っぺらさが滑稽なので、ささやかながら、ネット上に晒すことにした。
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2010年08月15日

民主党政権で国の訴訟対応がちょっと変化?

 ここんところ、半月以上、ブログを更新していなかった。自分で原因を分析してみるに@仕事が忙しい、Aツイッターで心の中の「叫び」を適当に発散している、Bブログの来場者数を気にするのを止めた、という原因に行き着く。以前は仕事忙しくても書いてたから、ABが大きいのだろう。

 そういう無駄な自己分析はさておき、最近、国相手の裁判で、国が敗訴した時に、控訴/上告しないで確定する例が立て続けに起きている。

労災認定基準の憲法違反
 一つ目の例は、他でもなく、事務所の同僚等が担当した事件。新聞がみんなリンク切れなので、事務所のホームページから引用。
労災補償の男女差別に違憲判決を勝ち取るー京都第一法律事務所ホームページー
・後遺障害等級に設けられた男女差別
 労災保険の後遺障害等級は1級から14級まであり順に補償の程度が低くなりますが、外貌(顔や頸など日常露出している部分)の醜状(皮膚などに残った醜い痕)については、男性と女性とで等級が違う点で他の後遺障害とは大きく異なっています。女性の外貌の著しい醜状障害については7級であるのに対し、男性の外貌の著しい醜状障害については12級と規定しているのです。単なる外貌の醜状についても、女性の場合は12級、男性の場合は14級と差が設けられています。

 原告男性の場合は、外貌と他の体の部分の醜状を併せて11級と認定されました。しかし、これが女性であれば、5級の認定を受け、給付基礎日額(事故前3ヶ月間の平均賃金)184日分の年金が補償されますが、11級の場合、223日分の一時金が給付されるだけなのです。

 この労災の後遺症等級における男女の差異を憲法14条違反として提訴した事件で、京都地方裁判所は、2010年5月27日、差異を憲法14条違反とする(日本の裁判所の人権感覚を前提にすれば)仰天の判決を下したのだ。
 しかし、主任弁護士も含め、事務所の弁護士がさらに仰天したのは、国が控訴せずに憲法違反の地裁判決が確定したことだ。僕は、この判決の他には、地裁の憲法違反の判決がそのまま確定する例を知らない。

自衛隊の上官が女性隊員を強姦した事件
 2010年7月29日、札幌地裁は、下記のような画期的判決を下した。もっとも、この記事は「セクハラ」などと手ぬるい表現を使ってるが、実態は自衛隊の上司が職権を乱用して及んだ言語道断の強姦事件だ。
司法:国側控訴せず賠償確定 元女性隊員「感無量」 空自セクハラ
毎日新聞 2010年8月13日 1時34分

 同僚の自衛官から性的暴行を受け、上司に退職を強要されたとして、北海道内の航空自衛隊基地に勤務していた元女性隊員(24)が国家賠償を求めた訴訟で国は12日、国に580万円の支払いを命じた札幌地裁判決に対し控訴しないことを明らかにした。記者会見した原告の女性は「控訴されるんじゃないかと不安だったが、感無量。裁判を続けてきて良かった」と語った。

 国側は控訴断念の理由について、「元女性自衛官の心情など諸般の事情を総合的に勘案し、司法の判断を受け入れることとした」と説明した。一方、弁護団の佐藤博文弁護士は「判決はセクハラ防止と被害者救済のリーディングケースとなる画期的な内容。女性の勇気に敬意を表したい」と述べ、女性は「自衛隊は隊員の人権を守る組織に変わらなくてはならない。セクハラ対策マニュアルを見直してほしい」と訴えた。

 裁判は、原告が夜勤中に飲酒していた同僚の男性3曹(35)から呼び出されて性的行為を強要されたうえ、事件後に相談した上司から「周囲に迷惑をかけた」と退職を迫られたとして07年5月に提訴。国側は「退職を強要した事実はない」などと主張したが、7月29日の札幌地裁(橋詰均裁判長)判決は「事件後の対応に適切さを欠き、違法な処遇が行われた」と指摘、女性の訴えを全面的に認めた。【金子淳、久野華代】

 自衛隊という権力機構を相手に、当事者の証言しかないところで、強姦の事実を認め、高額の慰謝料の支払いを命じた裁判官の英断は(日本の裁判所の人権感覚を前提にすれば)賞賛に値する。
 しかし、この件でも、僕がびっくりしたのは、国が控訴しなかったことだ。

ひょっとして、民主党政権で少し変わったのかも?
 京都地裁の憲法違反の判決は、戦前から営々と続いてきた行政の基準や、それを受けた交通事故の賠償基準の一部について、根本からの変更を迫るものだったにもかかわらず、国は控訴しなかった。こんな事は、自民党政権の頃には信じられなかった現象だ。札幌地裁の事件は、あまりに残酷な被害実態の前に、控訴すら出来なかった、というのが実態なのかもしれない。しかし、自衛隊は本音では控訴したかっただろう(責任を素直に認めるなら最初から訴訟沙汰にはしなかっただろう)。以前は、控訴しても恥さらしになるだけと思われる事件でも、役所のメンツに関わるような事件は、とりあえず控訴、上告はするのが国の態度だった。しかし、「誰か」の判断で、それをさせなかったのだ。

 民主党政権では、今までは各官庁の担当者レベルでやっていた訴訟管理を内閣官房で一元管理することにしたそうだ。
訴訟対応「政治主導」に 約700件を官邸で一元管理へ(1/2ページ)
朝日新聞2010年7月24日0時1分

 菅内閣は23日、国が被告で、薬害や公害など社会的な関心が高く、国民生活に影響の大きい約700件の訴訟について、内閣官房で集約・管理し、閣僚同士の協議で対応を判断する方針を決めた。従来は各省ごとに把握していたが、注目度の高い訴訟への国の対応は、内閣への評価に直結するだけに、政治主導で判断することにした。
〜中略〜
 現状では、それぞれの訴訟について、各省庁の判断でバラバラに対応しており、首相官邸には情報が上がっていない。しかし、特に薬害や公害など社会的関心の高い訴訟への対応は、政権にとって国民の支持を左右する。01年には、小泉純一郎首相(当時)が、ハンセン病患者への隔離政策を巡って国が敗訴した訴訟で、事務方の反対を押し切って控訴せず、支持率の上昇につながった。

 京都地裁の事件なんかは、5月27日なので、菅首相が動き出す前の判決だが、どうも、政治家主導で決断したように思えてならない。民主党政権には、国相手の訴訟を政治家が一元管理する発想を持った人がいて、従前から体制を作り始めていたのかもしれない、と思った。
 僕は、民主党政権を全体としてはプラスに評価しているわけではないのだが、こういう、自民党の頃にはなかった「当たり前」が実現するのは悪いことではないと思う。
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2010年07月24日

社会保険庁の分限免職問題で提訴した感想

 旧社会保険庁の職員が分限免職処分(民間の整理解雇みたいなもの)されていた事件で、今日、京都地裁に集団提訴してきた。
元社保庁「解雇」職員、初の集団提訴 
日本経済新聞2010/7/23 20:12

 昨年12月末の旧社会保険庁廃止に伴い、民間の解雇に当たる「分限免職」処分となった旧社保庁の元職員15人が23日、国に処分取り消しを求めて京都地裁に集団提訴した。元職員が分限免職処分を巡って集団提訴するのは初めて。今後、全国に広がる可能性もある。

 訴状では、(1)旧社保庁の後継組織、日本年金機構で1千人超の民間人を採用したのに元職員を分限免職処分とする必要性はない(2)国は分限免職を回避する努力義務を怠った(3)過去の処分歴を実質的な理由とする不採用は違法な二重処分だ――などと主張している。

 提訴を支援する全厚生労働組合は「年金記録問題などの制度的・組織的な責任を職員に転嫁し、身分まで奪うのは許せない」としている。

 年金記録をのぞき見したなどで懲戒免職を受けていた元職員ら525人は昨年末、日本年金機構などに移れず、分限免職処分で失職した。法律などで身分が保障された公務員の大量解雇は終戦直後を除き過去に例はない。

 杜撰な年金行政に対する国民の怒りはとても強い。それは保険料を納めた者の権利として当然だと思うが、全体としては「誰か」に上手く誘導されてしまって、問題の本質とは関係なく、「生け贄」にされた個々の職員が袋だたきの状態になっている。それで年金の様々な問題が解決するわけでもないのに。

 そういう世論の批判の矢面に立つのは、「代理人」という立場ですら、正直辛いものがある。しかし、嵐のような世論に耐え、中には精神を患いながらも、自分が生まれる前からあった(年金記録の杜撰な管理は1950年代から指摘されていたことだ)年金記録問題に、昼夜を分かたず必死に立ち向かっていた人たち、そうであるにも関わらず、「生け贄」にされた人たちの無念に向き合ってしまうと、俄然、火が付く自分がいるのもまた確かだ。

 さて、上の記事だが、間違っている箇所がいくつかある。分限免職処分された525人の中には、処分歴が全くない人も相当数含まれている。あと、懲戒処分は受けても、懲戒「免職」はされてないと思うぞ。

 処分歴がある人でも、処分自体がでっち上げに近いものである人も多い。代表的には「のぞき見」による処分だが、カードを事実上共有して使っているような状況で、自分のカードで他人が「のぞき見」したことで責任を問われた人も多い。そもそも「のぞき見」といっても情報を外に漏らしたわけでもない。職場でその種の「のぞき見」禁止が徹底されていたわけでもない。もちろん、「のぞき見」自体は是正されなければならないが、そんな厳しい規律で人を裁いていたら、民間の職場だって、処分の連続で崩壊するだろう。

 そういうことで「問題職員」を仕立て上げて、税金で養成した専門家を「生け贄」として職場から排除することは、まさに税金の無駄に他ならない。年金記録問題は超複雑な世界だ。専門家は記録の統合作業に当たって頂くのが一番、国民の為になるのだ。

 この裁判、苦しい闘いになっていくと思うが、頑張ろうと思う次第。
posted by ナベテル at 02:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 労働問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月21日

祇園祭と前田珈琲のカプチーノソフト

 これだけ更新サボっておいて、食いもんの話か、という感じだが。金曜日がある種のXデーで、準備が忙しいのだ。

 7月17日は祇園祭の鉾巡行だった。これは、何曜日だろうと、必ずこの日に行う習わし。祇園祭は日本に日曜日が休日という意味での七曜制が導入されるより前からあるのだ。

 で、7月16日が宵山で、15日は宵宵山。14日は宵宵宵山という日で。京都の繁華街は屋台が出たりして車も通行止めになる。今年は祇園祭を回る時間がなかったのだが、14日の夜に夕飯がてらちょっと鉾を見てきた。

 僕は元が関東者なので、関西のお祭りというと、祇園祭と、吉田山の節分祭しかしらないのだが、祇園祭の屋台で売られている品物は、僕の地元の千葉とはちょっと違う趣がある。代表的にはどて焼きとか。ああいうものは千葉には無いと思う。冷やしキュウリを売っているのも祇園祭ならでは、という感じがする。

 祇園祭のもう一つの特徴は、路面にあるお店が店の前に屋台を広げて、お店の商品を売ること。その中で、ほぼ毎年食べて、毎年感動しているのが前田珈琲のカプチーノソフトクリームだ。
 京都は人の名前が入った「○○コーヒー」という名前のコーヒー店が沢山あるが、前田珈琲は烏丸通りの蛸薬師通り西入る北側に本店がある。自慢じゃないが、僕はこのコーヒー店でコーヒーを飲んだことがない。でも、毎年、祇園祭であっちこっちの鉾や山を見て回ってると、ちょうど疲れて大通りに戻るために歩くあたりに本店がある。

 最初の年は単に暑さに耐えきれずにこのカプチーノソフトクリームを、いわばたまたま買ったのだが、さすが、コーヒー店のソフトクリーム、という感じで、コーヒーの香りが濃厚に漂う贅沢な味に魅了されてしまった。
 2年目以降は前田珈琲の店を目指して歩くようになり、以来4年連続で祇園祭の夜にソフトクリームを食べている。
http://www.maedacoffee.com/tenpo/index.html
 店のホームページを見ると、カプチーノソフトクリームは、普段もお店で食べられるようなのだが、僕の中では祇園祭=カプチーノソフトクリームという方程式ができあがっており、祇園祭の日以外に食べたことはない。とても美味しいので、変な呪縛にかかってない方は、祇園祭とは関係なく、一度行って見てはいかがか。
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2010年07月15日

郵便労働者の正社員化、大いに結構!

 日本郵政の非正規社員が大量に正社員登用されることになった。

日本郵政の非正規社員の正社員登用試験への応募、3万4000人超
7月14日13時41分配信 産経新聞

 日本郵政は14日、非正規社員を対象に6月に募集した正規社員への登用試験について、グループ5社合計で3万4098人の応募があったと発表した。応募は勤続3年以上で週の労働時間が30時間以上などの採用条件を満たした約6万5000人のうち半数以上に上った。

 グループ会社ごとの応募の内訳は日本郵政が56人、郵便事業が2万8585人、郵便局が4442人、ゆうちょ銀行が736人、かんぽ生命保険が279人だった。応募者に対して面接などの採用試験を実施し、合格者は今年11月頃に正社員として採用する。採用予定数は現段階で未定。

 日本郵政グループの社員は計約43万人で、非正規社員は2009年10月時点で20万3669人と約半分に上るが、正社員とほぼ同様の業務に携わっている非正規社員も少なくなかった。このため日本郵政は非正規社員の雇用の安定と正社員との格差是正のため、非正規社員の正社員への大量登用を推進する。

 正社員の増員は今後10年間の平均で1人当たり年200万円の人件費増につながる。最終的な合格者数によっては経営の圧迫要因となる可能性もあり、効率化などでカバーできるかが課題となる。

大量の非正規社員によって支えられる日本の郵便

 言わずとしれたことだが、日本の郵便は超優秀だ。郵便物はかなりの遠隔地でも翌日には到着する。速達がほとんど意味ない(これはこれで問題だと思うが・・・)くらい早いのだ。統計的なデータをもってないが、外国にいる知人とかの話を聞くと、郵便事故の率も諸外国に比べるとかなり低いのではないだろうか。難しい住所を探し当てて郵便物を到達させる能力も民間の配送サービスの比ではない。
 上の記事にあるように、日本の郵便を支える労働者の半数が非正規労働者だった、ということは、日本の超優秀な郵便の半分は非正規労働者によって支えられていた、ということなのだ。ウチの周辺に郵便配達に来てる配達員も、実は非正規労働者のかもしれない。
 優秀な郵便はその収益性と優秀さに目を付けられ、小泉政権下で民営化されることになった訳だが(実際に黒字を出しているのはゆうパック等を含めた「郵便事業」らしいが)、このニュースで分かることは、結局、その収益性が非正規社員に対する収奪の上に成り立っていた、ということなのではないだろうか。同じ仕事をする正社員とアルバイト職員がいれば、後者を使った方が使用者は儲かるのだ。


郵便事業の黒字は誰のものなのか

 仮に郵便事業の黒字全額が正規労働者と非正規労働者の賃金の差額から発生していると考える(従って全員が正社員化すると黒字がゼロになる)。
 郵便事業を民営化する、ということは、会社化して株式を公開し、利益を株主に配当するということだろう。その場合、郵便事業の黒字は、会社の所有者たる株主のものとなる。つまり、黒字は株を買える財力を持った人だけのものになるということだ。これをAとする。
 一方、株の公開を止め、非正規労働者の待遇を改善し(正社員化し)、賃金アップした場合、黒字は賃上げされた非正規労働者たちのものになる。黒字は正社員化された人だけのものになる、とも言える。これをBとする。
 古くて新しい議論だが、どちらの選択をするのが正しいのだろうか。

正社員化、どんどんやるべきじゃないのか
 これについて、絶対の正解は存在しないだろう。どちらの選択をするかはその人の価値観が大いに反映する。
 ただ、一つ指摘されるべきなのは、今、日本で高収益を上げている多くの企業は、Aを選択している、ということだろう。よく指摘されることだが、日本の企業は、正社員をリストラし、派遣社員や有期社員などの非正規労働者に置き換えることで賃金を抑制し、利益を出してきた。しかし、その結果、ワーキングプアがはびこり、ものが売れなくなった。「若者の車離れ」とか言われるが、そもそも車を買うお金が若者にないのだ。
 もともと郵便事業は国が責任を持って行う事業だ。クロネコヤマトに言わせると国が宅配便をやるのはずるい、という言い分なのだろうが、全国一律の郵便サービスを維持するために、同じ郵便のシステムを用いて収益を上げることは、あながち、ずるいとは言えないと思う。むしろ、公的な制度で上がった利益を、株を買う資産をもった私人だけで分配する方がよほど不公平に見える。
 一方、国の事業である以上、株主に配当するような利益を上げる必要はないのではないか。その利益が非正規労働者に対する収奪から発生しているのなら、正社員化してそこに利益を還元して、その人たちの生活を安定させるのは大いに結構なのではないか、それによって日本経済が少しでもてこ入れされれば、なお結構なのではないか、と思うのだ。

 なんか、いつにもまして落書き的エントリだが、激震が走った選挙後の復帰第一弾ということで。
posted by ナベテル at 01:35| Comment(5) | TrackBack(0) | 労働問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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